カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

雲を見、描くこと

イメージ 1

先日、ようやく、「働かないアリに意義がある」
という本を読み終わりました。

病院での待ち時間に読んでいたので、1年近くかかってしまいました。

私などは、まあ、働かないアリです。

ここで「働かない」とは、実際働いていても、その仕事が世の中の役に立っていないように見えることも含みます。

この結末が、どうまとめられるのか・・
自分にとって一見好都合なタイトルですが

一般に、働かないことは悪ですから
何か、否定的な結論が待ち受けているのではと思っていました。

まあ以下ネタバレになってしまう恐れアリですが、
短期的な見方だけで、役に立たないと結論付けることは危険ということでした。

狂牛病プリオンのように、科学の分野では、一見役に立たないと思われることも、
ある時突然有用と見られるようになったりします。

ムダを切り捨てることが、必ずしも効率的ではありません。

誰よりこの作者が、アリの生態を黙々と観察しているような、
役に立つかわからない研究をしている、働かないアリなのです。


いつか、レモン電池の実験についての記事で、

実験の成功とは、無限にある可能性の内の、ただ一つの結果に過ぎないと書きました。

思いがけず出てしまったほかの結果を、私たちは失敗と捉えますが

ノーベル賞が、失敗とされた結果から出現していることも多々あります。


実験の成功とは、ある意味特殊な場合であると、
私の行っていた理工系大学の先生で、言った人は一人もいませんでした。

ただ「成功」させるよう期待されて、先生からは実験を任されるのです。

カリキュラムも予算も時間も決まっていますから仕方ない部分もあるのですが、
ただ他の結果を失敗として見ることしか、学生には許されていませんでした。

というわけで私のようなドロップアウト組は、負け組として世の中から処理されます(笑)。


しかし失敗も成功も、価値としては実は同じなのです。

まあたぶん100人いれば100人、この意見には反対すると思いますが、
私の描いた絵も、ゴッホの描いた絵も、「描かれた絵」という点では価値は同じです。


さて、先日、10年振りに大学のサークルの先輩に会いました。
仮にJ氏としましょう。

彼はメンヘラー好きです。
付き合う人は、必ず精神的に、問題を抱えた人ばかりです。

メンヘラー女性の多くは、父親に受け入れられたことがないため
男性に対し、我がもの顔に振舞うことはありません。

それどころか、つい男性のわがままを許し、下手に出てしまいます。

かなり昔、「ウェンディ・コンプレックス」なんて本がありましたが、
成熟して自立した女性のティンカー・ベルに対し、
未成熟な男性ピーター・パンのわがままを許しながら心理的には依存している
ウェンディのようです。

私もまちがいなくその一人でしたが、
その辺の弱さを、そういった男性はよくわかっているのでしょう。

さて、彼の話のつまらなさに気づいたのは、10年ちょっと前くらいになるでしょうか。

それまでは、けっこうイケてると思っていたのです。
服装もそこそこオシャレだし、見た目も悪くありません。

そしてアートに造詣が深く、音楽も私は知らないジャンルなどに精通しているように見えたのです。
メカや天体ぐらいにしか興味を持たない工学部の学生の中では、稀有な存在でした。

彼の話のほとんどは、そうした先鋭的なアーティストと知り合いであることや
彼らのアートがいかにすごいか、といったことでした。

知らなければバカにされましたし、私の好きなものを言っても
「そんなの・・」とダメ出しされていました。

実際彼の選ぶアーティストのセンスはいいし、私の作品や創作態度がいつも彼によって批判されるのを聞いていて、彼はやっぱり大した人間なんだなと思っていました。


それにもう一人、私が親友と呼んでいた女性もちょうど同じような感じだったので、
自分の未熟さについて疑いは抱きませんでした。

彼らは家柄もよく、金持ちで才能にあふれ、東大や芸大出身者がひしめく家系なので
意見にも説得力がある気がしていたのです。

そういう意味で言えば、私も権威主義者です。

常に私は一方的な彼らの話を聞き、相槌を打ち、
賞賛し、励ましていました。


しかし彼らが賞賛するのは、どこかで誰かにすでに価値を認められている人間です。

新たな価値を創ろうとはしません。

彼らは、感覚でものを言っていますが、
ひらめきで話しているのではありません。

それがある時、言いようなく退屈に感じられたのです。

彼らが追うのは、成功した実験結果です。


一方私は、失敗しているかもしれませんが、そういった既存の価値を追いたくはないのです。

私は価値のないものを追い、見えないものを探し続けたいと思います。

「見えないものを見ようとするのは、狂人である」
と言ったのは、ボードレールでしたか?

狂人かもしれませんが、それでいい気がします。

既存のものを追うほど、つまらないことはありません。


そうJ氏に10年前告げたところ、連絡が来なくなりました。


私はせいせいしていたのですが、去年震災後、どうしたわけか連絡してきたのです。

携帯に表示された番号を子どもの学校からと思って、出てしまいました。

番号を知らないはずでしたが、共通の知人から聞いたと言っていました。

それだけでなく、ネットで私の名前で検索したと聞いて、ぞっとしました。


私のことを常にバカにしているのに、彼はなぜそうまでして連絡をとろうとするのでしょう。

親愛の情とかではなく、単に執着心なのだと思いました。
自信を回復させてくれる存在は、精神安定剤なのかもしれません。

成功の兆しもなく一人ごちている私のような人間は
彼からすると、ツッコミ甲斐のある人間なのでしょう。

でも、人に支えられた自信など、自信ではありません。

電話番号がわかったので、
その後の電話は黙秘していました。

しかし先週、ここいらで出ておいたほうがいいかと思い、
よせばいいのに会ってしまいました。


予想通り、話はおもしろくありませんでした。

まず彼は自分の息子の自慢話を始めます。

「実はゲイなんだ。」

いや、これは自慢ではないようでしたが、
逆に私は、なんてナイスなんだと思い、つい「おめでとう」と
言ってしまいました(笑)。

彼の息子さんは、長身で細く、美形のようで
女子生徒の取り巻きがいるそうですが、
彼にとって、彼女たちは同性の友人という意識だったらしいです。

さらに服飾デザイナー、それも「ゴスロリ」のデザイナーになりたいんだそうです。

彼に似ずよくできたお子さんのようなので、私は思いきり褒めちぎりました。

まだ高校2年生になったばかりですが、大学進学をやめ、服飾の専門学校に行くことを決め、その学校は就職の受け皿も多いので、先は安泰のようです。

「美少年」で「ゲイ」で「ゴスロリ」、できすぎた設定です(笑)。


「そっちはどうなの? 就職のこととか、大丈夫なの?」
「いや~、今年大学に入ったんだけど、文学部だから」
その答えは、彼的にツボだったようです。
文学部で就職・・正気の沙汰ではないかもしれません。

「え~、どうするの、それじゃ。親も何か情報集めるとか、しなきゃだめでしょ。」
「いや~・・自分がこんなだし、何もできることないし、文系のことはわからないし・・。
でも○○大は面倒見がいいっていうから、特に心配してません。」
と言ったところ、露骨にガッカリされました。


さらに彼の懇意にしている作家さんたちの展示のパンフなども持って来て
見に行くよう勧めてくれました。

「あ~、私とは違って、皆さん本当に素晴らしい。私はこうは描けないわ。
でも、これって、所詮他人のイメージですから、興味ないです。」

こう書くとどっちがイヤな人かわかりませんけど・・
でも彼の話に反応するのは、権威主義的な自分がいるからです。

私が権威から完全に自由になった時、彼とも縁が切れるのでしょう。

彼は、私の欠点を映す鏡です。


しかし別れた帰り道、できれば、5年は会いたくないと思いました。


その日、病院に寄ったのですが、
ここで先のアリの本を読み終わることができました。


そこに書かれていたのが、

「多くの研究者(プロを含む)は、教科書を読むときに『何が書いてあるかを理解すること』ばかりに熱心で、『そこには何が書かれていないか』を読み取ろうとはしません。学者の仕事は『まだ誰も知らない現象やその説明理論を見つけること』なのにです。優等生とは困ったものだと『変人』である私は思います。」


その言葉は、私へのエールだと思いました。

例え味方が一人もなく終わったとしても、
それでこそ、自分が生きたと言えるのではないか。

そうして地味な、見落しそうなエールが与えられること、
それこそ肯定されている証しではないのか。


「雲」を見、描く私はそのように、自分に都合よく考えることにしました。

そしてそのあとがきが書かれた日付は、偶然自分の誕生日と同じでした。


もう一度生まれればいいのだ。

なんどでも、甦る命なのだ。

そう思いました。