もう5月も終わりに近づきました。
いろいろと流れが早いです。
先日、またIさんとお会いしました。
で、ちょっと気の教室のマスターについての話になったんですが
「ものを教える器でない」
と言ったところ
やはりIさんも同じように感じていたそうで。
やはり教えることに向いた人と
そうでない人というのはいると思う。
教え方自体はそう悪くないので
スキルの問題ではなく、人となりの問題だと思う。
「能力と人格は別」のところでも似たようなことを書きましたが
術を使えるので
なかなか先生って、選べるようで選べないですよね。
自分の意識に問題があるのかもしれませんけど。
知るスピードも人と出会うスピードも上がったが
そのおかげですごい人々に簡単に出会う。
そしてすごい人は大勢いる。
クンダリーニエネルギーについて検索した際も、そういった方が
大勢いらして、その深い知恵や身体感覚などにただただ驚くばかりだった。
案外近いところにお住まいだったりして
世の狭さにも驚いたりする。
感心することしきりである。
Yahooブログでも出会う人出会う人、それぞれに小宇宙を感じるし
すごい人に普通に出会うのがまたすごいと思う。
で、その中のお一人、先の記事にも書いたのだが、ヨガを長年一人でされている
「体内旅行」さん。
グルに師事すると、その人の気など、影響を受けたくない部分も入ってくるのがわずらわしいから、一人でされるのだと言う。
なるほどと思う。
一生かかっても追いつけない人、というのもいるかとは思うし、
免許皆伝を目指すケースもあるだろうが
たいていの場合は師事して何かを学ぶにしても
グルと同じ人間になる必要はないから、グルの一部を学んであとは自分なりの道を目指すということになると思う。
つまり、ある程度学ぶと卒業する、ということになるわけだ。
卒業はどんな師弟関係でも当たり前にあることだし、本来喜ばしいことだと思うが、
私はネガティブな「裏切り」という色眼鏡で見てしまっていたので
師の元を去ることにためらいを感じ、高じて師弟関係を結ぶことにもためらいを感じていた。
勤めていた寺の和尚もそういう考えだったので、弟子は取らなかった。
「育てればやがて出て行き、商売敵になる」
というわけである。
しかしいざ自分が和尚の元を去ってみると
和尚からすれば裏切りかもしれないが
私としてはすべてやるべきことが済んだ「卒業」であって
裏切りという感覚ではなかった。
そもそも人はすべて違うのだから
忠誠もなければ裏切りもない。
そうした「マインドのブロック」を外してみても
師弟関係を結ぶと、自分には不要な「師のある部分」が入ってくる、という事実は残る。
確かにある人について学ぶ際、「これを学ぶけど、これは学ばない」という
取捨選択はせず、まず丸ごと受け入れて倣う、というのが一般的かと思う。
そしてある程度熟達したところでそれらを捨てて自分の味を出す。
それでも何らかの影響は残るというわけで、それを「体内旅行」さんは懸念されているのだと思う。
ま、それは自分が選んだグルだから、そのあたりは私などは受け入れたままにしちゃうかもですが。
絵とかも、私の中にはルドンやベーコンの影響が濃くあると思う。
でもそれは自分の選んだ師だし、なにより好きだから倣ったわけだし、
また似るのは同質的だから、ということもあると思うから、良しとしている。
まったく誰の影響もナシ、ってことはあり得ないかとも思うので。
やってくれた人のマイナス部分がこちらに移ってくることがあり、それは困る。
ヒーラーも玉石混交で、自分よりマインドの浄化ができていない人だと
まず施術してもらおうという気にはならないし、危ない。
見極めは必要だけど
図らずもそうした人に施術してもらう、という巡り合わせもアリ。
というわけで、やっぱり自分でやった方がいいか・・ということになるのだと思う。
それでも世の中にはやはり上の人がいて、学ぶべきこともたくさんあるようである。
というわけで、振り出しに戻る(笑)。