カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

性的相性について

先日ナニゲに爆弾発言しましたカノンはじめですが
 

その節は驚かせまして申し訳ありませんm(_ _)m

 

まあ、でも、バンパイアだバンパイアだと騒いでいる相手と

性的にうまく行っている方がどうかしている、ように

女性の私からは感じられますね。

 

バンパイアという「敵」であることについての説得力がないです。

 

もしかすると男性であれば、そういう相手とも性的関係を維持できるのかもしれないですけどね

 

男性の生理はよくわからないので、そのように言うほかありません。

 
 

そもそも性的に拒否したのは、夫だったんです。

 
 

というわけで、結婚当初からうちはセックスレス夫婦でした。

 
 

そうなった理由については、彼なりの言い分があったようですが

ここでは詳細は書きません。

 

端的に言えば、まあ「やる気にならない」ということでした。

 

でもセックスレスだからと言って、では第三者と性的関係を持つかどうかは

また別の問題だと思います。

 

世の中にはセックスレス夫婦など、星の数ほどいると思うからです。

 

またそうでありながら、少なくとも表面上うまくやれている夫婦というのも実際に知っているからです。

 

どういった形の夫婦というのが正解なのか、私にはよくわかりません。

 
 

でも当人が「これではイヤだ」と言ったら、それはうまく行っていないことになると思います。

 

どういった形であれ、双方が合意するのであれば、そこに問題はないわけです。

 

また、片方が合意していなければ、もう片方がそれで通しても、当然ながら問題が解決したことにはなりません。

 
 

つまり家の場合は、夫はそれでよくても、私が我慢できなかったということになります。

 

そうこうする内に、和尚から人を紹介してもらい、なんとなくうまくいったんですね、これが。

 
 

途中夫とも努力の甲斐あって少しはうまくいくようになりましたが、結局フェイドアウトするように関係はなくなりました。

 
 

その一連の経過を見て思うことは、

結局「相性」ということです。

 
 

どんなに一緒にいることを望んだとしても

男女の場合は性的に合わなければ疎遠になっていく気がします。

 
 

もちろんすべての関係に性的なものが存在するわけではないですし

性的な部分が合ったからと言って、ではその相手と一日中一緒にいるに耐えられるか、と言うと、そうでない相性もあるわけです。

 
 

性的に合わなくても、一緒にただ居続けられる相性というのもあると思います。

 
 

ただ、性的な相性は、努力して変えられるというものではないと思っています。

 
 

頑張って合うようになるということは決してありません。

 

そのくらい厳しいものであると思います。

 

「相性が悪くても楽しめる部分はある」

とは、和尚の言葉でしたが

結びつきが不安定になるのは致し方ありません。

 
 

意識がとてもよく合っているような人とは、そこそこ性的にも合っている可能性はあるかもしれませんが

 

意識が合っていなくても、性的に合っていればだんだん意識が合ってくる可能性はあります。

 

こればっかりは、実際お手合わせしてみないとわかりません。

 

でもどうしても気が向かない人は、やはり合わない可能性の方が高いかもしれません。

 
 

そして合わなかったら、3回が限度ですね。

3回目には必ず体が答えを出します。

 

3回というのは体に限ったことではなく、意識でも当てはまりますね。

 

3回くらいはたいていの人と会って会話くらいはできますが

相性が悪いと、4回目に会おうという気にはなりません。

 

1回会っただけでわかる場合ももちろんあるでしょうけど、3回目に出た答えが覆ることはまずありません。

 

性的な相性というのは、大きさなども含めたお互いの体の形状と、リズムやその他感覚など、いろいろなものを含むと思いますが、どんなものであると一言で表現することは難しいと思いますし、私にもよくわかりません。

 

しかし、一番大きな要素は体(性器)の形状だと思います。

 

単に大きければいい、狭ければいい、という話でもありません。

 

その相性が良ければ。性的感覚が増すので、おそらく相手のとりこになり、何べん体を交えても飽きない状態になると思われます。

 

ですから、その逆に相性が悪ければ、感覚が著しく損なわれ、熱がさっさと醒めてしまうようになるのは容易に想像がつくと思います。

 

この辺りの感覚はハッキリしていて、おそらく人はその感覚にものすごく正直にならざるを得ないでしょう。

 

相性がいい相手とはなかなか離れることができないですが、良くなければアッサリ離れて行きます。(それでも離れられない場合がありますが、そこには情とか念とかいったものが介在します。)

 

動物、たとえばパンダなども、相性が悪ければお互いに見向きもしないと言われています。

いくら発情期だとしても、その辺りはハッキリしているらしいです。

 

また性器自体の相性の他に、妊娠しやすい・しにくいといった相性もあるらしいです。

 

いくら努力しても子供ができなかった組み合わせが、

相手を変えた途端に妊娠、ということもよくある話らしいです。

 

和尚は精力旺盛な人でしたが、それでも前の奥さんとは6年も子供ができなかったそうです。

しかし次に出会った人とはできちゃった婚でした。

 

また、その寺にお客さんとして来ていた人でもそういう人がいました。

 
 

どちらも、努力がどうのこうの言う話ではなく、人智を超えたレベルの話という気がします。

 

もちろん相性が良くても関係を維持するためには多少の努力も必要とは思いますが、相性の悪い人とはやはり安定感が違うわけです。

 

確かに相性がいい人は、そうそうたくさんいるとも思えません。

 

そういった相手に出会うのは大変そうにも思えますが、ふとした拍子に出会うものかもしれないです。

 

あんなに相手を見つけるのが大変そうなカブトムシやクワガタでもなんとか種がつづいているのですから

思考や努力ではなくて、生物にはそうした特別なセンサーみたいなものが備わっているのでしょう。

 
 

夫と私も、そのように相性が悪かったのだと思います。

 

そして彼はバンパイアなので、セックスしなくても、つまり第一チャクラを交えてそこからエネルギーをとらなくても、オーラに混ざる触手(バンパイアシャドウというものがあるらしいです)からエネルギーを調達できるから不都合はなかったのだと思います。

もともと第一チャクラのエネルギー収集力が未発達だったために、セックスから必要なエネルギーが取れず、触手が発達したようです。

 
 

もちろん、いま結婚している相手と性的相性もいいというのは、かなり稀なことかもしれません。

 

運良くそうした相手と巡り合った人たちもいるのでしょう。

 
 

そして、性的相性のいい相手と巡り会うことが、果たして本当に幸福なことであるのかは、わかりません。

 

また、そうした相手と出会っても長続きするとは一概に言えません。

 

あの関係が最高だったと言いながら、最高でない関係を敢えて続けていく場合も多いように感じます。

 

必ずしも理想的であることが、現世での目的にかなっているとも言えないですし。

そこには魂的な理由もあるのでしょう。

 

人との関係において、体だけがすべてではないですから

感情や感覚、その他いろいろな要素がからんで相性が形成されていくのだとは思いますが

 

そのあたり全て含めて、相性の問題は人生の不思議を感じさせます。

 
 

でも幸せであるかどうかは、自分に正直であるか、自分の意識や体に無理がないか、ということには大きく関わってくると思います。

 
 

自分に正直でなくして幸せなし、とも思います。

 

しかし幸せになることが人生の目的でない場合も多いようですから、人生とはわけがわかりません。

 
というわけで、取っ散らかったまま終わります(笑)。