カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

重い宗教

「そっち系の話で続けます」的なことを書きながらずっと寄り道していますが

 

今日も寄り道します(笑)。

 
 

ちょっと宗教の話になりますが(いつも?・笑)

 (でも宗教について書くと、ブログが削除されることがあると昔聞いたような気がします。これで私のブログがなくなったら、そのせいだと思ってください。でもいつも宗教について書いているわりには長く続いてますね・笑)
 

先日、久しぶりに原宿に行きました。子供用の買い物で。

 
 

たまに行くと、なんだか大変気分がいいです。

 
 

20代前半は、毎週のように渋谷・原宿・代官山に現れていたなぁ~と

懐かしく思い返しました。

 
 

あ、去年の夏もそうでしたっけね(笑)

 

いや、でも、仕事でですから。

 
 

あ、いや、20代前半も通学途中だったり、バイト先があったりだったんですが。

 
 

ええ、で、竹下通りなども行ったりしたんですが

ムスリムの女性も多かったですね。

 

顔立ちからするとインドネシアでしょうか。

 

でもさすがに、チャドルでしょうか、全身黒で目だけ出ているような方はいないですね。

たまに浅草あたりでは見かけますが。

 
 

聞こえてくる言語もいろいろでしたが

そうした様々なお国の方々が平和にショッピングを楽しんでいる様子をうかがうのは楽しいです。

 

私の出身大学にも、多くの留学生がいましたし、

ムスリムの方も多かったです。

 

体育の授業で野球の際、打順が回って来たのに

メッカに向かってお祈り中だった方もいらしたようで。

 

そんな話を少し前になりますが、親しい人たちと話していた時です。

 
 

その中の二人ばかりが、

「異国にいるんだから、そうしたことは慎むべきだ」

といったようなことを言ったのです。

 

「日本にいるんだから、日本の風習に倣うべきだ」

と。

 

「仕事中でもお祈りをしたりしているが、そういうことをするからイスラム教のイメージが悪くなる。日本で暮らす以上は、そして日本の会社にいるなら、時間の使い方も日本のやり方に合わせるべきだ。」

 

ということでした。

 
 

私はそれを聞いて、びっくりしました。

私ならとても恐ろしくてそんなことをイスラム教徒に言えません。

ヘタしたら殺されます。

 
 
 

その人たちは、ただ時間の使い方だけに限ってそう言ったのかもしれませんが

 

どういう形であっても、彼らから祈りを取り上げることはできないと思います。

祈りは、願いであり、欠くべからざる精神活動であり

宗教を持つ人にとっての心の自由です。

 

日本人のように、宗教にそれほど厳密に生きていない民族と違って

彼らはアイデンティティを宗教と分かち難く作り上げている気がします。

 

人格のほぼ土台に宗教が据えられていますから

それを崩すとアイデンティティが成り立たないように思うのです。

 

それを強いるのはまずいです。

 

少なくとも彼らは、日本人が考えるような宗教との結びつき方をしていないと思います。

 
 

西洋人でもいまは合理主義が主流で、

あまり教会に行かない人もいるようですが

土台には変わらずキリスト教があります。

 

そのあたりの感覚は

なかなか日本人には理解しづらいところです。

 
 

日本人だと、神道があってその上に人格が成り立っている、ということは

あまりないような気がします。

 

それよりは基本、コミュニティの中で人格が支えれらている、ような感じがします。

 
 
 

先の発言をした彼らは、キリスト教圏でしばらく過ごしたことがある人たちですが

そうしたキリスト教徒の感覚を肌で感じる機会はなかったのでしょうか。

 

確かに、気をつけて見ていないとわかりづらい部分はあるかもしれません。

 
 

でもどこかでコミュニケーション上の齟齬があったり、問題があったりした時に

浮かび上がるのはその部分です。

 

イスラム教とキリスト教の争いは我々には不可解でも

それがなぜ続いて、世を動かしているのか考える時

帰着するのはその部分なのです。

 
 

大きい映画館で封切りされるような映画ではわからないかもしれないけれど

小さい映画館で上映されるような映画を見ていると

なんども出てきて心に疑問符を残していくのはその部分です。

 
 

でも西洋圏も合理主義がまん延したおかげで

宗教に対する新しい動きが出てきてもいるようです。

 

宗教を超えた動きです。

 

そして日本は、無宗教と言われるような国でありながら(実際は多宗教、なのだと思いますが)

ほぼ唯一の文化的国家と言われるような、珍しい国なのです。

 
 

そういう国だからこそ、いろいろな国の人が平和に共存できる場所であってほしい気がします。

 

重い宗教を抱えた人々の、オアシス的な場所であって欲しいと思います。