カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

逆巻きのネジ

昨日はかなりポジティブなことを書いたりしていたが
 
ワークショップの前日までは
まどかマギカ」のサヤカちゃん状態で(「あたしって、ほんとバカ」)
 かなりどーんと落ち込んでいた(笑)
 
やはり2元を生きている状態なので
それをしっかり経験するより仕方ない。
 
というわけで心身ともにどっぷり落ち込んでいた(笑)
 
 
しかし思えば
 
今までこのワークショップほど
人前で話をしたことはなかった。
 
友人と集まる時も
なるべく2人とかじゃなくて
多めに集ってほとんど喋らずその中に紛れていた
 
 カウンセリングに通っても
普段話さないからどう話題を持って行っていいのかわからず
ずっと黙っていて
 
「何でもいいですから話してください」
と、言われる始末
 
 1年通い続けてもあまり喋らず
先生の愚痴ばかり聞いていて
 
助手の人に
「あなたは自分のことを言わないでいられるから
症状は軽いんですよ」
とか言われる始末
 


どこかで
「誰も自分の話なんか聞いてくれない」
 と、思っていたんだと思う。
 
 
誰も自分の話など喜ばない。
だから人の話を聞くしかない。
 
 
その「人」とは、特に母だったのだ。
 
母は、いつも弾丸の如く恐ろしい勢いで喋っていた。
私の話などに耳を傾けることはなかった。
 
 
私が用事で電話をしても
それを伺うこともなく一方的に喋り続けた。
 
浄化をしてから
私の話を少しは聞いてくれるようになったが
 
 
おそらくそのあたりがずっと感覚として残っていたのだと思う。
 
 
喋ることを咎める心が
私のブレーキになっていた。
 
お金についてのマインドセットより
こちらの思い込みの方が
私にとっては強烈だったと思う。
 
喋ることだけでなく
あらゆる表現にそのことは制限をかけた。
 
一方的に話し続ける人が許せなかった。
 
 
しかし今回は
さすがに黙り続けるわけには行かなくて
 
なんとか伝えたいことは、一応言葉にできたと思う。
 
 
いつものように
話すとすごい罪悪感に囚われることもなかった。
 
それが自分の感覚を変えた。
 
イヤがらず
聞いていただけることのありがたさ
 
聞いてくださる方を「癒す」までは僭越なのでできないにしろ
自分が癒されてしまったのだと思う。
 
Iさんの広い懐に感謝する他ない。
 
 
 今までの人生でも
前世でも
私にとって表現はタブーだった。
 
表現が生命の危険に直結した。
 
だから母のような人を選んで生まれてきた。