カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

子宮筋腫と女性性

案外、子宮筋腫を飼っている(笑)女性は多いみたいですね。

 

友人と集まっても、そのメンバーが変わっても

集まった4人全員筋腫持ちとか、結構多いです。

 

類友で、似た性質なのかもしれませんが。

 

わりと女性性を否定しがちな人に多い症状と言われているようで

(西洋医学的に、ではなく、スピリチュアルな観点で)

 

確かにメンバーの顔を思い出しても、そんな感じの人が多いです。

 

出戻りで家業を継いで、実兄より頑張っていたり

離婚後脱サラして自営していたり

離婚していなくても、旦那さんが事故で動けなくて

彼女がマネージメントしていたり

 

私も含めてですが、生活圏の中の男性像にどこか欠落や不備があったりして

自分が頑張らざるを得ないというか、

 

自分自身が男性モデルになっているというか

 

そんな傾向が確かにあるような気がします、私の周囲を見た限りは。

 
 

思い返すと、元々男性を必要としていなかったような。

だから欠落したモデルを引き寄せた、という気もしますし。

 

そして、男性的というのはどういうことか、わかるような気がするのですが、

女性的であること、女性性、というのが、いまひとつわかっていない気が自分ではしています。(あくまでも自分は、で、友人たちがどう考えているのかは知りません)

 

男性は左脳的で、分析的、批判的、構築的、能動的、理論的とかでしょうか。

こう挙げていくとなんだかよくわかりませんけど。実務的というか行動的というか。

 

女性は右脳的で、死と性に関わる、創造的、受動的、感情的、ですかね。

 

実際の男性や女性がこう、ということでなく、男性性・女性性と分けた時に何が示されるかという概念的なことなので、人によってその割合は違うと思います。

 

実際に女性らしい人というと、案外男性的な決断力とか、勇気を持ち合わせている人だったりしますし、

女々しいというのは男性に対する形容ですからね。

 

やはり今の世の中、男性性によって社会が作られ動かされているので、

女性性についてはあまりイメージができないんだと思います。

 

仕事のモデルも女性の生理にはあまり合っていないものだと感じますし

仕事が忙しくなり過ぎて生理がなくなっちゃった人とか、結構いますよね。

 

実際自分も、どう自分や女性性を大切にしていったらいいのか、よくわかりません。

 
 

自分がどうしたいか、を知るのが第一歩、ですよね。

 

嫌なことはやらない。

 

でもそれが一番難しいことだったのでもありますが。

 

「男性のすべてを受け入れて、相手の意のままに生きる」

というのが、自分の女性性のモデルでもありましたから。

 

それが愛だと信じてもいましたし。

 
 

でも、先日私の避妊具についての記事にコメントをした人、

 

「ビールとセックスは生に限る」

とか発言されていましたけど、

 

正直、バカですね(笑)

 
 

私の返信も、1行にて要約すると

 

「首根っこ洗って出直せやぁぁボケェ!!」(笑)

 

ということになります。

 

そんな本音はわかっているからこうした記事ができた

というのに、それを読み取れもしないし

 
 

そのことで苦しんでいた人に対し、その程度のコメントしかできない。

 

この人、プロフィールにご自身の住所まで載せちゃっていますけど

実年齢ももちろん(自称としても)わかります。

 

でもその歳で、それだけ積み上げたものがありながら

なぜそのようなことしか言えないのか。

 
 

ええ、まあ、人は違うことがいいわけですから

同じリテラシーをすべての人に要求するわけじゃありませんが

 

やはり思いやりの問題であると思いますよ。

 

それでは若い人に尊敬などされるはずがない。

 
 

まあ、ほとんどの年長者、「反面教師」的役割がほとんどかもしれませんが

(いや、山や農村で生きる年長者にはいろいろ学ぶことは多いと思いますが)

 

それだって、人は肉体と欲望だけでできているわけではありませんからね。

哲学がなければ、欲に流されるのです。

 

年少者からすれば、その人がどのように時間を積み上げてきたか

一瞬でわかってしまいます。

 

年少者の目というのは、そういうものです。

 

誤魔化すことはできません。

 
 

中学の時の音楽教師が、

「ものは年少者から教われ。

年長者から教わるから、世の中が悪くなるのだ」

と、常に言っていましたが

 

その発言において、私は彼を尊敬しますね。

 

それ以外の点については尊敬しませんが。

(彼は私の同級の男子生徒の体を触ったことがあったのです。いや、もちろんホモセクシュアルだから非難するというわけではありません。これは犯罪です。)

 
 

と、批判バリバリ、受動的女性性皆無で発言してみましたが(笑)

 
 

せっかく男性性過多なのだから、それを極めれば女性性に戻ってくると考えたり

 

相変わらず女性性についてのモデルはハッキリしないままですが

 

先日、断捨離で

自分のタンスを整理したんですよね。

 

今までの戦利品(笑)や大切なものを入れた小さな引き出しがあり

一つ一つ見返しましたが

 

普段、ほとんど使われないままに仕舞われてある香水や装飾品が

ナニゲに自分を支える何かになっているのを感じました。

 

女性の体はレースで覆われることが相応しいことも。

 

これも女性に対する物質的アプローチかもしれませんが・・

 

自分を大切にすると決めてまだ5年、

女性性モデルの構築にはまだ少し時間がかかるかもしれません。

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