カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

こどもの無償の愛

その人を「いい人」と思うあまり

虐待されていたことに気づかずにいた。

 

その人に感謝できない自分が間違っているんだと思っていた。

 

でも虐待されているんだから、感謝できなくて当たり前だ。

 

「感謝しなければいけない」という感謝病にかかっていて

本当のことが見えていなかった。

 

「いい人な筈」と決めつけていて

その人の本当の部分に気づかなかった。

 

誰にでもいいところはあるからと、その人のいい部分、うまく取り繕っていた部分にばかり目が行っていて、その人が実際どういう人であるかはどうでもよかったのだと思う。

 

とにかく自分のできることをすること、誠実であることばかり考えていて

 

それがポジティブ志向だと思っていた。

 
 

それを依存と言われて、意味がわからなかった。

 

確かに「自分が愛されていないことをわかりたくなかった」というのなら依存かもしれない。

 

自分が愛されていなくても、どうでもよかったというのが本当のところだろう。

 

自分が愛していればよかった。

 
 

それは依存なのだろうか。

 
 

こどもの愛もそんなものだと思う。

 

こどもは大人になにか期待をしているわけじゃない。

 
 

お腹が空いたら、「お腹すいた」と言うだけだ。

 

ただご飯が目の前にあれば、それを食べる。

 
 

お父さんが、

 

「おい、メシ!」

 

というのとは違う。(その違い、わかりますよね)

 
 

「おい、メシ!」

と言われたら奥さんはハラを立てるかもしれないけど

 

「お腹すいた」

と言われたら、お母さんは何か用意するより仕方ない。

 

期待があるか、ないかの差だと思う。

 
 

大人との付き合いだと、「○○であること」が期待されているのを感じることがある。

 

無言の圧力を感じることがある。

 

でもこどものそばにいると、何もこちらには期待していないのがわかる。

 

動物もそうだ。

 
 
 

動物もこどもも、ただ、いるだけ

 

それだけで愛をまわりにふりまいている。

 
 

無邪気に、期待することもなしに

何かこちらが食べ物を用意していることがわかると、気配を感じて

うれしくてそこいらを走り回ったりしているけど

 

だからもっといろいろしてやりたくなる。

 
 

こどもの愛が大人の愛より下なんてことが、あるわけがない

 
 

「母の愛は偉大だ」ってよく言われるけど(新聞とかでも、やたら書かれているけど)

 

どこかにそう書く人の期待が見える。

 
 

確かに素晴らしいものには違いないけど

 

それよりこどもの愛の方が純粋だ

 
 

何も見返りを求めていない。

 
 

両親がどうであれ、虐待をしていようと

両親のすべてをただ無条件に愛している。

 
 

愛してくれなくても

ご飯をくれなくても

 

ただ、いつか愛してくれればいいと思っているだけ

 
 

みんなそうだったはずだ。

 

忘れてしまったのだろうか?

 
 

忘れて、「母親の愛が偉大だ」とか言っている。

 
 

そして、「こどもは何もわかっていないから」

「親が教えてやらなくちゃいけない」

 

でもこどもにはすべてが見えている。

 
 

それでも、親を愛するより仕方ない。

 
 

「こどもは親に依存しているから

嫌われないように顔色を見て親の言うことをすべて受け入れる」

 
 

という心理学関係の話があるけれど

 
 

確かにこどもはまっさらだから、親のすることすべてを受け入れてしまう。

というより、受け入れる他ないが

 

それが愛からじゃないとどうして言えるのか。

 
 

確かに形態としては「依存」ということになるのかもしれない。

 
 

論文では「愛」と書くわけにいかないからだろうか。

 
 

でも、それは「愛」だからだ。

 
 

大人の意識をはるかに超えた愛をこどもは持っている。

 

愛は静かに、ただ、そこにある。

 
 

「愛じゃない」と言えるのは

それが愛だと大人には理解できないからだ。

 
 

自分より大きいものを

たとえば、ブッダやキリストの愛を

人が理解できないのと同じだ。

 

大人は自分が小さいころどれだけ純粋に親を愛していたか

忘れてしまっているだけだ

 
 

大人は「こどもが愛せるわけがない」と思い込んでいるから

こどもの愛が見えない。

 
 

それを「依存」と言ってしまう

大人の見識が悲しい。

 
 

私にはそれが許せない。

 
 

思い出してください

自分がこどもだった時のことを。