カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

依存と独立心・その2「感謝がないから独立する?」

(「依存と独立心・その1「相手は自分のシャドウ」より続き)
 

さて、そうした親や配偶者に対する独立心を、面倒見てくれていた人に対して

感謝がないから、としている他のライトワーカーらしい人(仮にCさんとします)のブログも読みました。

 

親に感謝がないから親を捨てようとするし、出た先でも同様に捨てたくなるような関係を作り上げてしまう、ということでした。

 

なおAさん、Bさん、Cさんはそれぞれ別の方です。

 
                           

でも、それはどうでしょう。

 

なるほど、確かに両親が不仲の家で育つと自分も不仲な家庭を作ってしまうことはありますし、

虐待されて育つと、虐待するような相手ばかり選んでつきあってしまったり、自分でも虐待してしまう、ということはあります。

 

それは潜在意識がそのようになっているからでしょうし、そうなるような行動を意識せずにとっているからでもあるでしょう。

 
 

でも、親に対する不満が皆無の人がいないのと同様、感謝がない人はいないと思います。

 

いくら親に不満があったとしても、感謝していないとは限らないと思います。

むしろ相反する気持ちがあるのが普通でしょう。

 

不満が多少あっても、あふれる感謝を抱えていることだってあるし

だからその人に感謝はない、と決めるのは、考え方が単純すぎるかと思います。

 
 

Cさんも、あえて短くまとめるために簡略化、単純化していることはあるでしょうが

それにしても心の問題ですから、書き方一つで大きく変わります。

 

無論、虐待などを受けていた人に感謝を要求するのは酷です。

感謝しないという選択も十分にありえます。

それはそれでいいのです。

 
 

独立する、というのは感謝のあるなしに関係なく生じる健全な願望だと思いますし、愛から発生する意思だと思います。

 
 

どうあっても、子は親から独立するものでしょうし。

人は誰からも独立した存在で、それが当たり前です。

 
 

親子の間にある感情は、いろいろ複雑なものを含むと思います。

でも結局許しあうのが親子でもあると思うし。

 
 

感謝があっても、「ここから独立したい」と思ってしまうような環境は作ってしまうんですね・・(笑)(でも、ある意味当然の願望という気はする。)

 

その環境も、私にとっては最大の課題である「自分を大切にする」という問題をクリアするための、設定なんだと思っています。

 
 

本当に気づくためには、それなりの行程が必要なんでしょうね。

 
 

「感謝がない」ことに対して厳しいライトワーカーの人は多い気がします。

 

でも、感謝は「する」ものではなく、「出る」ものだと思いますし

感謝しないことは必ずしも悪い状態ではないと思っています。

「怒り」の感情が悪くないのと同様。

 

もちろん感謝できればそれに越したことはないでしょうけど

 

どんな状態でも肯定し、自分の気持ちを理解していることが重要だと思います。

 

自分に甘いことも、時には必要です。

 
 

自分に厳しすぎると、人にも厳しくなるし、いいつもりであっても結局それが人を裁くことになると思います。

 
 

さらに別件で、「ホ・オポノポノ」だと「許してください」と言うから、相手に対し下手に出ているために効果があるけれど

 

いろいろなグループワークとかで手放しをして、両親やその他の人について

「許します」

という意識を持ったとしても、それは上から目線だから、それ以上状況が好転しない、と言っている人がいましたが

 

上から目線とか下手に出るとかって何?

って感じです(笑)。

 

「許します」

と言っているのは、それらの人に対して、というよりも、そうした経験をして得た感情を許す、とか手放す、と言っているのだと思いますし。

 

対象は他人じゃなくて、自分なんです。

そういうマイナスの感情を抱いていた自分を許すってことだと思うんです。

 

そうしたワークショップでも、たとえばレイプとか犯罪で心の傷を得たとき、

その犯人や行為を許す、ということではなく、そうした経験をしてしまった自分や、そのことで起こる感情的なわだかまりを手放し、自分を許す、ということが主眼とされているはずです。

 

相手を許すことが目的ではないんです(少なくとも私はそう思ってます)。

すべては自分自身の個人的な経験であり、相手が誰であろうと関係ないからです。

 

でもホ・オポノポノの効果を否定しているわけではありません(あれは効果的だと私も思います)

 

厳しいライトワーカーと、包容力のある肯定的なライトワーカーの文章は読後感が相当違います。

 

ま、私もそうしたライトワーカーの人たちをジャッジしているわけですから

同じかもしれませんけどね(笑)

 

自分がまだまだ自分に厳しいことを、それらは教えてくれているのかもしれません。

 

(「依存と独立心・その3」に続きます。)