かなり一日罵倒されまくりました(笑)
主旨は、「作業が遅い」というものです。
確かに私は作業が遅いです(笑)。
ヘタに慎重で強迫神経症も働いて、何度も確かめずにいられません。
潜在的には恐怖感と不安感、自分に対する不信感が働いているのでしょう。
しかしその上司の言い方が、誰かにそっくりでした。
それは、私です(笑)。
自分が自分に対してかける声に、内容といい、言い方といい、そっくりでした。
私も常に、自分に対し、「遅いな~」と言っています。
また、「いくらやっても全然ダメだよね」とも言っています。
できている部分を帳消しにしてしまうのです。
少しばかりできても、見なかったことにしてしまう。
自分で認められないから、当然他にも認められません。
その言われようは、自分が小さい頃に言われたのとも似ていました。
幼稚園から小学校低学年にかけて、遅いことはよく指摘されていました。
テストの提出がクラスで後半だと、点数の隣に三角印がついていましたが
私の場合は常習で、江戸っ子で何事もめちゃめちゃ早い母の叱言が常に待っていました(笑)
おまけに担任の先生からは、「おのろり史子」と呼ばれていました。
だから自分は何事にも「遅い」というイメージが出来上がっていました。
上司のことばを聞きながら、自分の自分に対する声かけを顧りみました。
前回も書きましたが、自分の自分に対する態度を、周りの人は再現しているだけなのです。
帰宅途中カフェに寄り、その感覚をリリースしました。
いつもひどいあしらいをしている自分に、謝りました。
そして残ったままになっている傷跡を癒しました。
私は思うようにならない自分こそが、自分の敵だと思っていました。
つまり、自分に対する信頼が抜け落ちているのです。
帰宅してFBを見ると、傷ついて道に立ったままのロバの動画がありました。
道路で車にぶつかられ、ケガをし、恐怖と痛みで道端に立ち尽くし、進めなくなっていたのです。
それを見たとき、自分だと思いました。
かなり前に買った本が読みかけで、2、3日前にふと思い立って再びその本を開いたのですが
そこに、「二股に別れた道の先にそれぞれ美味しい草が生えていると、どちらに行こうか迷ってロバは進めなくなり、死ぬまで立ち尽くしている」という話が載っていて、そんなバカなことはないだろうとその時私は思いましたが
その映像を見て、どうもそれはありえないことではないと思いました。
そのロバに対し、深い同情心が湧きました。
フランスには「ロバのように愚かです」ということばがあるらしいが
だからこそ、ロバは愛される、とも思いました。
キリストがロバに乗って進まれたのも、だからなのでは・・と
思ってみたくなります。
私はロバのような自分に、一生寄り添って生きようと思いました。