いま親しくさせていただいている方には
結構神道に対するアウェイ感を覚えている方も多いです。
あの、アウシュビッツ転生の方とかもそうですけど
魂的に日本人ではないんでしょうね。
本「知っておきたい~」を読むと、日本の神話に当時の政府の作為的なものが多くあることが見えてきます。(著者の意図と必ずしも一致しないかもしれませんが)
権力で事実が捻じ曲げられたり、ご威光を借りるために神様を利用したりという部分が多分にあり、
また、もともとのご祭神の性格から外れたようなご利益が、後々の流れによってあるとされたりするのも怪しい、ってかウソくさく感じちゃいます。
他の宗教が自身を律し、絶対神という真理との一対一の関係によって自身の性質をより神に近づくよう高めていくことを主眼にしているのに対し、
神道では、ツミケガレをなるべく祓うことで、さまざまな性格を持つ土着神の内、自分好みの御神体を選んで、そちらから恵みを得ることを主眼としているように見えてしまい
ご利益第一主義に映るのも致し方ないかな、と思ってしまいます。
人々は神に対しただ頭を垂れてその恩恵を受け取るだけ、という神々の絶対性は保たれているとは思います。
だからと言って神道を否定したりする気は毛頭ないのですが
やはり時の政府によって人為的に捻じ曲げられた部分が神話に残る、というところが
聖書とは違って、素直に聞き入れられるようなものでなくなっている気がするのです。(聖書にも弟子による誤解された部分はあるのかもしれませんが、なるべくイエス・キリストの意図をそのまま残すことに心血が注がれており、時の為政者などの思惑が混入していないことが、信じるに足りるものと感じさせます)
宗教が為政者によって利用されるというのは、いずこも同じかもしれませんけど。
それでもって廃仏毀釈によって職を追われた僧侶のうち何割かが軍属に移行するってのが
なんか納得できるようなできないような。
僧兵ですね。
まあ、こういうことを言っちゃう私は国賊なんでしょうね。
もしかしたらこのブログも消されちゃうかもしれないですね。
でもどこへ行ってもしょせん私は異邦人。
上の意見だって、絶対神を信じるような立場からの視点かもしれませんし
もう自分は自分でいいやと思います。
こんな自分だったから、おそらく常に迫害の対象だったでしょうし
その事実があっての自分の性格だとも思います。
伝道師、吟遊詩人、芸術家、魔女
常に私は異端であったと思います。
今は似たような境涯の人に出会うことも多いから、幸せですけれど。
でも今住むところの土地の神様は、寛容なんですよね。
私を嫌ってはいらっしゃらないようです。
温厚なおじいさん、みたいな方で。
日本の神様も、懐がひろいんでしょうねぇ。