もう先々月の話になってしまうが
荻窪での展示に、最初に就職した某企業(仮にT社とします)での大先輩Yさんが来てくださった。
あまりそうした立場の方に案内を送ったりはしないのだが、
今回はYさんのお宅に近い所でもあったので、ダメモトで案内させていただいた。
わりと理系の人はそういうところが純粋なのかもしれないが
「知り合いの中ではおそらく自分が一番展示場所に近いに違いない」
と考えて、来てくださったそうだ。
しかしまさか来てくださるとは思わないから、何のお約束もせず
他の人とのお約束のために展示場所に向かった所、偶然おかえりになろうとしたところで会うことができた。
本当に、ギリギリすれ違いになるところだった。
YさんはT社だけでなく、実は大学の先輩でもあった。
それも同学科。
この学科はなんと2年間トンツー(無線通信実技実習)が必修で
私の年から学科名称が変わり、それは選択になったのだが
当時ですらYさんは
「この時代にそれをまだやるとはね・・」
と、なかば呆れていた。
そしてこの実技と所定の単位を取れば無線通信士1級の予備試験だか何かが免除になるのだが、もちろん私はトライしなかった。
ある程度の単位は取っていたが、さすがに乗船実習とかは1ヶ月とか2ヶ月とか洋上で過ごさなければならないので、ハッキリ言って痔持ちの自分にはムリだった。
で、今回せっかくおいでいただいたので、おかえりになるところをお引き留めしてお話を伺ったところ
当時、つまりYさんが学生時代、その試験にトライし、実は不合格になっていたそうだ。
T社を中途退職された後、再度トライして合格されていたというのである。
T社を中途退職されたのは55歳で、私が退職したわりとすぐ後だったらしい。
ほぼ今の私の年齢と同じである。
なんとその年で、ずいぶん思い切られたなと思ったが
ご友人の会社に誘われたという。
私のように24~5で退職するのとはわけが違うから
相当な覚悟であったと思われる。
当初は華々しい状態だったが、ほどなくしてそのご友人とうまくいかなくなる。
そして2年後に退職。
その時にハローワークに通われるなどして大変ご苦労されたということだった。
まあ私などしょっちゅうハローワークに出入りしていたが(笑)
あのような堅い仕事をされてきた方だから私などとはわけが違うのだろう。
そのような中、無線通信士の資格を取られたという。
すると、ほどなくして某社がそのくらいの年齢の、無線通信士資格を所有する人向け求人を出してきたという。
なんと、人生とはうまくしたものであろうか・・
そのくらいの年齢であることにも、その資格が必要とされることにも
確固たる理由があったというからすごいもんである。
やや小規模ではあったが、わりと堅めの半分公的な会社で、
電線とかを点検するような仕事だったと言う。
作業場所は結構山の中とか、すごい高所だったりしたそうである。
それを60過ぎてから、10年ほど勤められたという。
YさんはT社に来る前は「ンTT」みたいな公的な場所にいたし
半分お役人的な堅い人だと思っていたのに
思いがけない冒険家だったようで、印象が変わった。
まあ勤め人であるから経営者のような冒険とは違うだろうが
それにしても50代半ばからかなりの冒険である気はする。
もう現在は80代だが、語り口は軽妙でよどみなく、
真面目だけれどもあの大学ではあまり出会えないような、考えの底にいつもユーモアが流れていて、聞く人の心に希望を与えるような方である。
やはり年長者の話は聞くものだと思った。
足取りは矍鑠としていてもかなりのお年にはなるので
気軽にお呼び立てできるような感じではなくなってしまったが(いや、お呼び立てしたけど・笑)
またなるべく近いうちにお会いしてお話を伺いたいと思う。
展示場所のおいしいコーヒーを飲んでいただけたのもよかった。
ご自宅でも毎日コーヒーを楽しまれると伺って、やはりあの学校の人だなという感じがした。
学生時代にバイトでUCCコーヒーの人と会う機会があり、当時コーヒー豆の40%を理系大学が消費していると聞いた。
確かに研究室は不夜城で
毎日据え付けの腕の長いミルで挽いては淹れていたし
納得できないこともなかった。
そしてあの学校の人は2度3度転職する人が多く、
同じ研究室でも部活でも、最初に就職した会社のままという人は少ないから
Yさんが特に変わった人というわけでもない。
Yさんが来た前日には研究室でお世話になった教授が来てくださって
さらにこの週のタモリ倶楽部にはその大学の人が何人か出ていた。
というわけでなんとなく某大ウィークだった。
先週は久しぶりに母校近くまで来たので覗いてみたところ
かなりの校舎がリニューアルされていた。
しかし全体的に緑深い所は変わっていない。
私にはあまり合っていない学校だったが、環境的にはよかったかもしれない。