カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

神奈川のド僻地から通う

最初、「僻地民」という題名にしようと思ったのだが
 
もしかしたら(立派に?)差別用語かもしれず
思い当たる?人が激昂(笑)するかもしれないと思ったので、少し変えてみた。
 
この文は僻地に住んでいる人にレッテルを貼って差別するのが意図ではなく、
あくまでも「僻地」という言葉にからんで自分が経験したことについてだけ書こうとしています。
 
私は学生当時川崎市に住んでいて、都内の学校に通っていた。
 
小学生時代は、都内の人と言葉遣いやその他なんとなく差を感じていたが、  
特に都内から通う人にどうこう言われたことはなかった(と、一応記憶している)。
 
しかし中学時代は、神奈川や町田から通う人々は
事あるごとに
 
「僻地民」
 
と、呼ばれた(笑)。
 
 
これが高校に入ると、さすがにそれは子供っぽいと思い始めたのか
だれもそうした呼び方はしなくなった。
 
 
というより、高校になるとやや遠方にあるいくつかの付属から生徒が集まり、
他県民の割合がぐっと増えただけでなく
 
全国区になり、日本国内でも北海道など他県から
さらには少なくとも10分の1は帰国子女だったから
 
意味がなくなったということになる。
 
 
しかし私の頭は中学時代から発達を遂げていないのか
この意識が定着し、
 
神奈川県民 = 僻地民
 
みたいな感覚が抜けなくなってしまった。
 
なのでいまだに同窓生に会う時は
どことなく卑屈な自分がいる。
 
 
なんとなく、目に見えないヒエラルキーが存在するように感じてしまうのである。
 
てか、実際にヒエラルキーは網目のように細かく存在していると思う。
 
いちいち挙げればキリがないのだが、そうした日常を生きるのが人間であるとも言える。
 
 
また自身の母親が都内出身で、そのことを誇り、
微妙にいつも神奈川県で育った自分を哀れんでいる。
 
一応自分も都内で生まれ、県内の学校に通った事はないにも関わらず、そうなのである。
 
そういった感覚が地味に繰り返し、また根強く自分の中に刷り込まれているのだと思う。
 
 
で、3月も絵を見に来てくれた同窓の友人すべてから
「なぜ(神奈川県民なのに)わざわざ荻窪で展示なのか」
と尋ねられ
自宅が駅まで出るのさえ困難を覚えるような僻地であることに言い及ぶと
 
その内の一人が思いがけず、おそらく気を使ってくれたのだとは思うが
 
「当時、神奈川から来る人は大人だった」
 
と言うのでビックリした。
 
あまりに意外だったのでその根拠をたずねると
何人か、神奈川県から通っていた人の名前が挙げられ、
 
男女交際やその他、流行の先取り感などについて説明された。
 
 
そう聞くと、確かに人目につく恋愛をしていたり
生活や服装的に派手だったり
海外文化に詳しかったり、遊び方が洗練されていたりする人がいるにはいた。
 
まあ、ぶっちゃけチャラ男にチャラ子というか・・
遊びなれている人が目立っていたというか
 
都内の人がまだ質実剛健に見えるような、神奈川県民ならではの浮わついた感じ(笑)
があったということなのだろう。
 
私はどっぷりオタクだったので、そうした洗練や華やかさとは遠いところにいたが
確かに将来的に捨てているというか(笑)浮わついた感じはもれなくあったと思う。
 
いや、だからといってすべての神奈川県民が浮わついているとは言わないが
 
独特の軽さというか、海近くに住む人ならではのその場しのぎ的感覚が
体に染み付いている感じはあるような気がする。
 
その傾向が都民にしては目立つのか、横浜を「遊ぶところ」と考え、
また神奈川や横浜の女を色眼鏡で見たりする人も一部には(かなり年齢が上の人のようではあるが)いるような気がする。
 
実際、そういったことをブログで書いていて、私が神奈川の人間であると知ったために
友達申請をしてきた人もいる。
 
 
学内には横浜・川崎を「怖いところ」と思っている人も多く、
「赤い靴の異人さん」を、人をさらってしまうイメージで捉えていたり
(実際そのように話していた友人が、横須賀に入港していた米兵と結婚してアメリカに行ってしまったけど)
 
川崎駅で待ち合わせしたら
「覚悟して来た」
とすべての人に言われたり
 
やはり都内の人との感覚の差を挙げたら、暇がないほどだ。
 
そうした経験が、皮膚を通して自分の中に染み込んでいる。
 
使うことばでも、都内の人は「じゃん」を語尾に付ける事はない。
 
自分では小学生の頃から普通に使っていたが、都民はそれを違和感を持って聞いていたかもしれない。
 
家の中でも、父母は決して
「じゃん」
を使わないし、考えてみれば小中地元の学校だった弟ですらそうで、
 
私だけが家の中でも浮いている。
 
地元でも一緒に遊び、同じ学校に通っていた友人の影響だと思う。
 
その人はお父さんが川崎出身だった。
 
私が当時住んでいた武蔵小杉では、「じゃん」言葉を使う人と使わない人が混在していたが
 
日吉に移ると、年齢が上の方の人でも普通に「じゃん」言葉を使っていた。
 
 
小杉あたりだと、都内から移り住んだ人が多かったのだと思う。
 
 
今住んでいる県央は、どっぷり神奈川、どっぷり「じゃん」言葉である。
 
 
娘が大学に行くと、やはり「じゃん」を使う人はいないそうである。
 
 
今の場所では、都内に仕事に行っていると話すと
「東京まで働きに行っているの!」
という言い方をされて、驚かれる。
 
つまり、出稼ぎ・・という感覚なんでしょうかね。
 
 
どうも、横浜駅より奥に行ってしまうと、東京ははるか彼方・・になってしまうようで
そこが一つのボーダーラインである気がする。
 
このラインはもしかして武蔵と相模の境なのか?とも思ったが、
まだ私の居住地はかろうじて武蔵国らしい。
 
基本、横浜より奥の人は、わざわざ都内に出ようという意識がない。
 
鎌倉近辺だと、朝の上りの横須賀線にかなりいるので、通勤圏ではあるようだ。
 
 
このボーダーラインは食環境についても一つの目安になっている気がする。
 
 
日吉界隈では刺身や寿司、生魚は
朝並んだものがその日にディスカウントされることはない。
 
2~3日して初めて値下げされる気がする。
 
 
しかし横浜より奥では、その日並んだものはその日の内にディスカウントされる。
 
つまりまだ新鮮な内に値下がりするので、5時以降にスーパーに行けば
美味い寿司や刺身がお安くゲットできる。
 
これは食生活に大きな変革をもたらした(笑)。
 
 
刺身や寿司を食べる頻度が飛躍的に上がった。
 
そのため、都内の飲み屋などに行って刺身を食おうなどと思う事はまずない。
 
よくお相伴に与る千葉の飲み師匠も似たような環境なのか、刺身類を頼む事はない。
 
 
都内で食べるより、ずっと新鮮で安い魚を食べつけているので
都内ではもっぱら、肉(笑)
 
煮込みやヤキトリ、ハムカツや練り物類ということになる。
 
 
昨日は僻地の地の利(笑)を生かして、横須賀に出た。
 
交通費にしても、逗子なら300円だが、都内(西大井)に出ようとすると470円かかる。
東横線経由で多摩川に出るにしても420円。
 
それを考えたら470円で横須賀に出た方が、買い物にはいい。
 
 
闇市への買い出しか、というようなバックバック持参で
よこすかポートマーケットへ。
 
コチの切り身100円、ソイのお頭付き100円、レタス類100円、ジャガイモ150円など、横須賀三浦産をゲットする。
 
 
都内には遠いが、その分僻地ライフを堪能する。
 
 
環境には替えられない。

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