最近出会う人には、まつげが長いとか
目がきれいとか、いろいろ褒めてもらうようになった。
ほとんど自覚がないことなので、「いいのか? いいのか?」と
いたたまれなくなるんですけど。
で、先日、
「存在自体の安心感」
というものだった。
ちょいわかりにくかったので、
どういうことなんだろう・・とある日の移動中、ふと考えた。
なんかよくわからないけれど、「生きていていい」「そのままでいい」って言われた気がする・・
「そのまま、そばにいてくれれば」みたいな・・
押上駅の改札に向かって歩いていた時だった。
ああ、そういえば、私はいつも「生きていちゃいけない」「自分なんか、死んだ方がいいんだ」と思っていたな・・
それで、そういうことを自分に思わせた両親を恨んだりしていた。
私の頭の中は、常にそのことでいっぱいだった。
そして、いつも自分が世の中の流れに取り残されて、社会的にも役立たずだと感じながら、都心部を歩き、改札をくぐっていたな・・
そんなことをぼんやりと考えていた。
押上は都心部・・とは言えないかもしれないけれど、その分
昼の少し人がまばらな時間帯によく新橋や虎ノ門駅の改札をくぐったことが連想されたんだと思う。
あのころから社会的には、立場はほとんど変わっていない。
流れの外にいるだけだ。
当時、父の余命はわずかだった。
母と車椅子で父を散歩に連れ出した際、
線路の側道から行き交う東横線を黙って見ていたのを思い出す。
あの時、父はその流れの中で生きてきたことを感じていたのだろう。
忘れられない光景だ。
と、そのとたん、昨年2月の終わり以降思い出せなくなっていたことが何だったのか気づいた。
「自分などいなければいい」という考えだ。
あれほどいっぱいに私の頭を常に占めていたことが、あの時のヒーリング以後、
頭に浮かばなくなったのだ。
あまりに大きい部分がすっぽりと抜けたので、私は何か重大なことを忘れたような気がして、前後不覚に陥っていた。
記憶もできなくなり、夢も思い出せなくなり、10日間ほどボケっとしていた。
それほどの変化が起きたのだから、あのヒーリングはすごく効果的だったということだ。
ほぼ同じタイミングで2件のヒーリングを受けたので、正直どちらの影響なのかはよくわからない。
また、自分の内部で実際にどのようなことが起こっていたのかハッキリ認識することはできないが、
自分にそう思わせるに至った部分に癒しが起こり、そこに関連した記憶も書き換わって、付随していたネガティブな感情もなくなり、その分に空き領域ができた、みたいな感じか。
当の原因となる記憶も、何だったのか認識できないし、もちろん覚えてもいない。
こんなことが起こりうるのかどうかよくわからないが、なんとなく、大体はこんな感じで間違っていないと思う。
またそのヒーリングは、実はほとんど無料で、それも「一番とれやすい部分にあるブロックが解放される」といったものだったから、はたしてそんな大きなショック症状が来るようなブロックが外れるものか、よくわからない。
それから約1年経った感じだが、おそらくそういったことが自分に起きていたのだと思う。
何を忘れていたか思い出せたのはよかったし、思い出しても昔と同じように
「自分は生きていない方がいい」と思うことはもうないと思うが、
想像を絶することってのは、やはりあるもんなんだなと思う。
1年前、その事件の直後何人かの方からサプライズなケアをいただき、日常生活にとりあえず差し支えない程度には戻って来れたのだが、それもすごい体験だった。
というわけで、結局いまは人様からの恩恵ばかりで生きている。