カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

昔のAsahi(現シー・シー・ピー)ミニオイルヒーターCOZY BABY ES-902が壊れた件

先週は大雪が降ったり地震や噴火があったりしたが、
このように天変地異?が多発する時は、人の世界にも事故やトラブルなどが多発するように思う。
 
大雪の日、なんと私のヒーターが二つも壊れた(笑)
 
てか、正しくいえば一台はもともと故障していて、この日に修理の申し込みをしたところ、すでに修理できる期間が終了していて再生不可が明確となった。
 
そしてもう一台はミニオイルヒーターで
制御部分のカバーが取れてしまい、動作自体に影響はなかったのだが
 
このカバーはプラスチックでできていて、経年劣化のため本体への取り付け部分が割れてしまった。
 
で、硬化する粘土を買ってきて、接着することにした。
 
接着自体はうまくいきそうだった。
 
が、取り付けの前に内部を軽く掃除しようと思ったのが仇になった。
 
てか、それ自体は間違っていなかったどころか、掃除するべきではあったと思う。
 
中から積もり積もったホコリが出てきた。
それも熱で茶色く変化していたので、ヘタしたらトラッキング事故になったかもしれない。
 
きっと他のオイルヒーターも、スキマから入ったホコリが山積しているのだろうと思う。
 
扇風機など古い機器を掃除すると、中からもれなくこの茶色く変色したホコリが出てくるが、こういったことからもあまり古い機器を使い続けるというのは危険だというのも確かではある。
 
で、綿棒で丹念に取っていったところ、その際に回路にふれて接続が切れたのだと思うが、以後まったく作動しなくなってしまった。
 
それほど強くふれたわけでもないので、おそらく壊れるのは時間の問題だったと思う。
 
しかし回路自体はとても簡単で、素人にも直せそうなくらいだ。
 
大学の工学部、それも電子・電気系を出ていて、これくらいのものを直せないのは、本当にもったいない。
 
もちろん導線自体も経年劣化しているだろうから、すべて取り替える必要はあると思うが、これくらいのことができないのは情けない。
 
おそらく高校の工業科や、高専を卒業した人には難なくできるはずである。
 
特に強電関係の回路については、大学生は高専の人の正確さとスピードに、遠く及ぶことはない。
 
高専編入生がいるグループは、普通なら夜8時くらいまでかかる実験を午後2時くらいまでには終了してしまったというのだから恐れ入る。
 
また大卒でも、東工大附属に行っていた人や、東京電機大に附属から入っている人はできると思うし、工学院とかは実践分野に強い人がいるような気もする(実は1年だけ工学院に行っていた)。
 
もちろんどこにでもマニアックな人はいて、例えば昔の雑誌で言うと「初ラ」(初歩のラジオ)とか「ラ製」(ラジオの製作)とかを愛読していたような、そうしたことが得意な人はいるだろうと思う。
 
私もこれらは買ったことがあるが、実際に組むのはハードルが高いと感じた。昔はキットなど親切なものもなく、品物を揃えるのも北風のように冷たい(笑)アキバの部品屋でそろえなければならなかったはずだ(今も)。
 
大学の工学部を出た人は基本、頭脳労働部分の設計などに携わるのみで、実際に作る立場になることは想定されていないのかもしれず、
 
実践は高卒の人にまわされていて、一般的な学校では教える場所も「技術家庭」に入れられているのかもしれないが
それにしても、これくらい直せなくて、なんのための工学部かと思う。
 
企業(某電機メーカー)の工場実習では、現場の高卒の人に教えてもらって組み立てなどをしたが、
当時でもそんなローテクの機械を組み立てる部分は少なく、ハンダを使うのもプリント基板だけだった。
 
というわけで、ほとんど有用なことは学ばず通り過ぎてしまった。
 
それでも、ゴミが多くて困っている世の中なのだから、できる部分は直して使い続けたほうがいいし、
そのためにも、直流でなく交流電源で使う簡単な回路のものを手直しできるような実習はしておくべきだと思う。
 
交流電源で使う機器に故障が出た場合の危険度は、電池を使った回路よりはもちろんはるかに高い(つまり、家が火事になるようなケースが想定される)から、よほど気をつけて作らなければならない。
 
そういったリスクがあるから素人にはさせないのだろうし、責任を取れないから教えない、ということではあるだろうが。
 
工学実験は数少ないそうした機会かもしれないけれど、
回路を組んだとしても計測が目的の試作であって
実用に耐え得るような品物を作るわけではない。
 
イキがって自分で岩塩ランプなどを直したりしてみたが、実際に目の前で爆発されたりすると、己の浅薄さと甘さに身が縮む。
 
まあ2回目で、今のところ熱も持たずなんとか無事に作動しているが
あまりに単純な作りのため、何とかなっているといったところである。
 
 
出身大学(ありていに言うと、電気通信大学)では、毎週末「おもちゃの病院」という看板を掲げて、近隣の子供達のおもちゃを直すために開校しているらしい。
 
おもちゃだからゲーム機でもないかぎり、そんな複雑な回路のものは直していないと思うけれど、いい試みであると思うし、お子さんや親御さんからも喜ばれているらしい。
 
せっかくだから、社会人のための講座に、「自分で直せる家電品」みたいなものも用意してくれないかと思う(通うの大変だけど、もしあったら頑張る)。
 
メーカーで、修理期限が過ぎていて修理できないとされているものの中にも、
まだ修理すれば使えるものはいくらでもあるはずだ。
 
そうしたものも、いまはただゴミとして捨てられている。
 
もったいないことだ。
 
 
倉庫でアルバイトするといつも思うのは、いかにムダなものが大量に作られては廃棄されているか、ということだ。
 
ただ、経済を回すために。
 
 
いま経済を回している人(ありていに言えば男性)の大部分は、いま生きている世の中でもっとも大切なのは経済であると考えていると思う。
 
というのは、自民党が第1党に返り咲いた際、投票した人々はそれを理由にあげていたのを見たからでもある。(正確に言うと、新橋などの街頭インタビューではその意見が主流であったと感じられるように、TV局で編集され、放送されていた。)
 
食べて行けなきゃすべて無いのと同じ、という考えはわからなくもないけれど
文化なんかどうでもいい人がほとんどだと思う。
 
そもそも、地球と生命あってこその経済ということが、見えなくなっているようである。
 
しかしこうしたリサイクル不可な経済は、絶対に破綻する。
 
地球の石油資源には限界があるからだ。
 
 
いまリサイクルされている物があるといっても、ほんの一部である。
 
横浜市など、分別しておきながら、プラゴミはただ燃やしていてリサイクルなどしていない。
 
労力だけかけさせておきながら、なんという冒涜であろう。
 
プラスチックから石油に再び変えられるリサイクル方法があるが、それが一般的なものになっていくといいと思う。
 
いまお金と労働の奴隷になっている人類が、解放される日がいつかくるのだと思うが、
 
その前にしておくべきなのは、ゴミ処理の個別化だ。
 
一般家庭でゴミ処理がある程度できるようにしておく。
 
というのは、誰も働かなくなったら、ゴミ収集の仕事を希望する人がおそらく減るからだ。
 
生ゴミコンポストを使って土に返す。
(いや、実はこれは結構大変で、うちでもコンポスト君を飼っているが、骨は食わない、卵の殻は分解しない、野菜だけじゃイヤだ、肉も食わせろと結構うるさいのである。笑)
 
 
というわけで、ちょっと話が広がったが、できるだけリサイクル可能な社会にしておく必要はあると思う。
 
 
しかし今回役に立ったのが、やはりネットの情報で、同じオイルヒーターが壊れた状況を載せていたブログだ。
 
その人のケースも制御部分のカバーの取っ手が壊れていて、その人のご家族が持っていた同じ機器も同様の故障だったので、そのカバーはこわれやすくできていたのだと思う。
 
私も今回故障の連絡先を調べるために取説を出してきたところ、実は買った翌年(つまり保証期間内)にすでにその部分が壊れて、一度無料で修理してもらった履歴も出てきた。ちょうど20年前のことだった。
 
 
その人は結局、中の回路が外ざらしになっているのは危険だけれど、動作に不都合はなかったので、カバーをテープだかヒモのようなもので止めて使い続けるということだった。
 
約10年前のブログだから、今はどうされているのかはわからないが。
 
 
それでも似たような状況があった人がいたということはわかったし、ヘタなメーカーの情報よりずっと有益だった。メーカーは営利団体であるから、基本、それを傷つけるようなことは書かない(営利目的が悪いとは言わないが)。
 
メーカーの情報は鵜呑みにしないほうがいい。
 
やはりどんなことでも、それがたとえ自分ではショボいと感じられるようなことであっても、一般人こそが書いて残しておいたほうがいいと思う。
 
表現は光原であり、情報は共有財産である。
それがいつか、誰かの役に立つ。
 
誰かを傷つけるのが目的そのものでなければ、もし書いたことで結果的に傷つく人が出るとしても、真実であると思うなら書くべきであると私は思う。
 
ペンは剣よりも尊い