カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

「自分に対する信頼」という水やり

引き寄せとか具現化といったことは、現在の人々にはすでにお馴染みになった考え方だとは思うが、私が中学生当時、つまり約40年前でも、すでにそうした考えはあった。

 

科学が神にとってかわり、非科学的なことは一笑に付されるような時代でも、一部の人には信じられていて、民間伝承的に伝えられていたのだと思うし

 

私はたしか図書館だったかでそういった本を借りて、やってみたのだった。

 

子供だったのであまり疑う心はなかったため、叶いやすかったのだろう、

わりと次々叶えて、欲しいものを手にしていたように思う。

 
 

今でもガチャポンとか、こういった人に会いたい、みたいな

自分の努力とあまり関係ないようなものは比較的簡単に目的のものをゲットできるように思う。

 

しかし自分の、本当に得たいもの、ライフワークのようになっていて、多くの思惑を抱えてしまっていることについては、なかなかその通りにならない。

 

一つは「叶わなかったらどうしよう」といった心配があるからで、さらには「努力」や「時間」が相応に必要であると思い込んでいたり、という、邪念があるからとも言える。

 
 

何かを叶えるには、ありたい状態を宇宙にイメージや言葉でオーダーするだけで、

 

それを叶える方法については宇宙が考える。

 

人がするのは、ただ宇宙がもたらしてくれると信頼して待つだけである。

 

ところが、信じられないと、あれこれ努力をしてみたり、考えたりしてしまう。

 

それは、種を蒔いた後、出るだろうかとほじくり返したり、水をやりすぎたりするようなものである。

 
 

私は、その「信じる」あたりがどうにもできないで、待つことができない。

 

「蒔く」のはできても、フィーディングがうまくできない。

 

どんな種であっても、「信じて待つ」過程がないと、芽が出ても育つまでがうまくいかないように思う。

 

当初から、自分のテーマは「信じて待つ」、それも特に「自分に対する信頼」ということだったが、それは変わらないと感じる。



イメージングも意図も引き寄せも、「自分に対する信頼」があってこそ花開く。
 
 

そう思い直して、また一歩ずつ訓練を積む日々である。