カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

保守の片棒を担ぐ女親

2月は函館の従姉たちの訪問に始まり、
元姑の葬儀
名古屋の本家訪問、
そして父方の従伯母の訃報と
先祖配慮強化月間だったかのようだ(笑)



元姑の葬式後バタバタと駆け込んだ名古屋だったが、当初雨だったはずの天気にも恵まれ、いま思うと不思議に楽しい旅だった。

祖父がついてきたのかもしれなかった。


一つビックリしたのは、母方の祖父の家が関係している事業と、父方の祖父の家が関係している事業が、偶然にもそっくりだったことだ。


両方とも農家だし、見合い結婚でもないのにうまくしたもので、ちょうどいい感じでつりあいがとれている。


それを言えば元夫の父方の家も、江戸時代の過去帳から同じ名前が連綿と続く農家であるから


そこもつりあいがとれていたのだ。


ま、農民は多いから、確率的には高いかもしれないけれど


両親の家は、それぞれたまたま列車事業にも加担していた。


おもしろいものだ。


にしても、やはり所有には
多大なエネルギーがかかるものだと思う。


家を買ってから、元夫の人格は明らかに変わり、こちらに向けるエネルギーがさらに減った。

また彼が実家に帰るたびに、エネルギーがものすごく奪われているのを感じた。


逆に都市生活は、基本ものを持たないことを良しとする価値観だ。


居間や台所、風呂場やリビングの機能は店などに委託して、家は寝るだけ

そこまでミニマルな人は少ないかもだけど。


家は賃貸にして、あとは楽しみに回すという人はそこそこいるだろう。


持たざるものは幸せだ。



持つことでエネルギー的にどれだけロスしているのか、自覚できる人は少ないんじゃないか。


元夫は、自覚や内省から遠い人間だ。


母親からスポイルされていることにも
そのことでどれだけ自分が母親に譲歩して来たかも、意識していないに違いない。


癒着して、自分自身の境界線が見えなくなっていると思う。

だから独自の考えを持つことを理解できないのだ。


完全に、家にとりこまれてしまっている。


でも、本家を見て思ったけれど、案外少なくないことではないだろうか。


男の子が、母親や祖父母に異様に大切にされているのをよく見かける。


元夫の姉の嫁ぎ先でも、お姑さんは男の子の方(仮にK君とします)をひどく大切にしていた。


その子のお姉さん(仮にYちゃんとします)とは、私が見る限り、待遇が違っていた。

Yちゃんも冷遇されていたわけではなかったので、明るく素直には育ったし、それを不満に思っている様子も見られなかったが


どこか感じたことはなかったのか。


元夫の姉は差別していた風はなかったが

元姑も待遇に差をつけているのを、私はなんとなく感じていた。


自分が育つ過程で父から受けた弟との待遇の差を、思い込みとして見ている故の色眼鏡かと思っていたけれど


それを確信したのは、元姑の葬儀後だった。

確信したというより、知らされたのだ、娘から。


娘は孫という同等の立場からそのことをずっと感じていた。


同じ孫なのに、何故このように待遇が違うのかと。


K君は舐めるように可愛がられ、褒められているのに、自分はいつも何かしら戒められ、一度も褒められたことがないと。


そしてK君の読む忌辞で、待遇差があからさまなのをあらためて知り
怒りを禁じ得なかったそうだ。


娘の小さい頃の様子から、今でも可愛がられているものばかりと思っていた。

変に嫁が付いていくよりも、娘と元夫だけの方が、孫と憚らず楽しめると思い、娘が小学校中学年くらいになると、ほとんど私は付いて行かなくなっていた。


だから娘がそのように、祖母に対しわだかまりを抱いていると思わなかったのだ。

だんだん祖母宅に行かなくなったのも、年齢のせいくらいだとしか思っていなかった。


内孫よりは、嫁の孫に距離を感じていたとも思うが

それにしても納得の行かない仕打ちだった。


K君はスポーツで海外遠征もするような子だったが

娘はいつも絵を描いていた。


そこが元姑には気に入らなかった。


いつも絵を描くのをやめるよう言われていたらしい。


結婚当初、私はまだ美大に通っていたが
妊娠して辞めざるを得なくなった時、元姑も舅も喜んだ。


チャネラーの人々に聞くと、たいてい
「旦那さんも絵を描きますか?」
と尋ねられたが

元々絵を描いていたのを、あるきっかけで止めたらしい。


きっかけの一つに、元姑のことばがあったはずである。


彼は自分を肯定できず、母親を肯定したので
自分を曲げたのだ。


それが後々バンプリズムにつながってゆく。


自分を曲げると、周囲にも強く苛む波動を出すことになる。


自分を殺しているのだから、他人にも同様に生命力を枯渇させるように働く。


私の見た限りでは、理系らしい理系でメーカーの仕事も合っているようだったが、深いところでは納得していなかったのだろう。


今では彼はすっかり母親に同調してしまっている。


チャネラーによると、舅が他の女性にバンプリズムを受けていて、そちらとすっかりつながってしまい、姑はつながれなかったので

息子をその代償にして、すっかりつながってしまった。


姑は、息子に心理的に依存していたのだ。


エーテルコードが第1チャクラにつながっているので

結局私は元夫とつながれなかった。


別の「妬み」という感情ではつながっているのだが。


しかし父親不在で母親が子供と必要以上につながっている(近親相姦とかいう意味ではなく、心理的に)というケースは、よくあるように思う。


他の女性とつながっていないにしても、日本のお父さんは忙しい。


母親の病理は、その夫の病理だ。


社会の軋轢が、母親に及んでいる。


長男を必要以上に優遇するのは、父親よりむしろ母親であるように、私には見えていた。


私の家では、父親が弟を甘やかしていたが
自分が満たされなかったことの代償だったと思う。


そうした心理的連鎖なしに保たれている家も
あるとは思うけれど


男系社会を巧みに支えている母親の存在は大きい気がする。


そうした母親も、保守の片棒を担いでいる。


本家の奥方は如才ない人で、
明るく快活に地域の活動に参加されたり、農業に勤しまれたりしている。

それまでもずっと定年まで、近くの企業で働いていたという。

さらに嫁ぎ先であるこの家系の人々とその関係について、知り尽くされている。

やはりそうしたことに向いた人はいるものだ。

私なぞが頑張ったところで、足元にも及ばない。

家にいて幸せかは結局その人の気の持ちようであるとも思うが

やはり私は幸せにはなれなかったと思う。


ところで元姑の死に目に会えたのは
実は元夫だけだったそうだ。


舅も義姉も病院内にいたのに、たまたま席を外した間に旅立ったそうである。


昨年は、人が事切れる瞬間、その場にいる人に強く影響する話を何度か聞いた。


魂と共に体から念が放出され、同席する人に入り込むと言ったことを書いている人がいた。

また故人の情報は、骨の中にもしっかりと残っているということだ。


つまり元姑は、敢えてそのように場を整えたのではないか。

死に向かう人が死に目をアレンジすることはよく耳にする。


実際、父の時もそうだった。

人は自分の現実を常にアレンジしている。

普段は気づいていないけれど
特に純粋な霊的存在になろうとしている死に目には、側の人にもそれとわかるような現象が起こる。


元姑の息子に対する執着は、夫(舅)や実の娘(義姉)まで遠ざけるほどの、並ならないものだったのだ。


献身的に面倒を見ていたのは、義姉だったのに。


ちなみに私の父の時は母と私で看取ったが、留学中だった弟には何としても知らせたかったのだろう、

わざわざ元夫を自宅待機させて、弟からの電話を取らせた。


この時、元夫は理由もわからないまま病院から帰宅し家にいて、弟の国際電話を受け取った。

弟は無意識に私の家にかけて来ていた。

おそらく父の霊体、もしくは意識が行なったことなのだろう。


そのように死に目に入ってきた死者の情報をリセットする手立ても無くはないが、

本人が望まなければ、成されることはないだろう。

死に目は大事なのだ。
その瞬間に真実が出る。


それからもう一つ本家に来ておもしろかったのは
従伯父のお嬢さん、つまり再従妹が偶然にも私と同じ名前だったことだ。

年は一つ違いだが、私は浪人しているので、就職は同期になる。

偶然過ぎる偶然だが、そんなこともあるのだ。