小坊主の勤めてる寺は、来世の救いよりも現世利益を求めるところだから、
まあ、信者さんたちもそういう考えなわけね。
今日もお客様が多くお見えになった。
28日は、不動明王の縁日でもあるしね。
その中に、年配の女性の姿もあった。
若い方は、良縁祈願とか、
社長さんとかは、商売繁盛とかいろいろあるけれど、
この女性(仮にNさんとしよう)、そのどれでもない。
願い事については秘密厳守だし、和尚以外、本当のところはわからない。
持ちこんだ写真等からすると、家庭内のことのように覗えるが、はっきりとはしない。
しかし足しげく通われているところを見ると、相応の覚悟で願をかけているのだ。
欲はあかあかと命を燃やすためのエネルギーかも知らんが、
反面、負担にもなる。
この歳になっても、それだけの強い願いを抱きつづけるのは、苦しいことだろう。
歳とったら、それなりに欲から開放されて、たゆたうように生きられると思っていたのだけど、
そうばかりでもないんだね。
しんどいよね。
本人、ひょっとしたらそれが楽しいのかもしれないけど、やっぱつらいよね。
ま、余計なお世話かな。
先日のメールの差出人は、今日もメールを入れていた。
「この寺に来た人で、ほんとに幸せになった人っているの?
高い金だけ払って貧乏になって、不幸になった人ばかりじゃないの?
そんなインチキ商売、すぐにでもやめたほうがいいよ。
本に書かれてる成功例って、みんなウソじゃないの?」
みたいな内容。
まことにお手数です。
う~ん、そうだなぁ~・・
不幸になった人ばかりじゃないだろうけど、
確かに、幸せになった人がどれだけいるかは不明。
でもなんとなく、皆さん、幸せと不幸せが
不可分のものであることは悟られて行かれるような気はしますよ。
どんなことでも、いいこともあれば、悪いこともある。
プラマイゼロで、なーんだって感じ。
それじゃ意味ないかと言えば、そういうわけでもないでしょ。
「なーんだ」がわかれば、それでよかったんじゃないのかな。
でもそれで納得できなきゃ、まあ、そういう行動になるでしょうね。
小坊主は、この寺に来て、「地獄」見たかなぁ。
でも、よそじゃ見られない、おもしろい見世物と言えなくもないし・・
不幸かな。損してるかな・・よくわからないなぁ。
短いレンジじゃ、どうとも言えないよね。