カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

3月の花

寺を、出た。

置手紙ひとつで。

すべて和尚に話したいことは話したし、これ以上話しても何も発展はないと
思ったからだ。

専務にだけ、挨拶してきた。

「いいじゃないですか、これから好きなことができて」
「どうですかね、ワタシはペシミストだから」
「それはいけませんよ、いつでも楽観的でないと。
わたしなんかいつもそうですよ。どうにでもなるんだから。

いつでも、夢を持っていることですよ。

そして最後にすべてを決めるのは、自分の意志ですよ。」

それが、専務のはなむけのことばだった。

メールの返事を片付け、データのバックアップを取り、金銭集計し、
自分のマグカップとスリッパを捨て、
和尚の祈祷中を見計らい机に手紙を置いて、急いで出てきた。

日が延びてまだ明るさの残る新富町を歩きながら、
こわばった体が徐々にほぐれて、
少しずつ、専務のことばが体にしみてきた。

胸が、希望と期待で、いっぱいになった。


後日、知人から連絡があり、
「和尚に電話したとき、あなたが急にやめてしまったけれど
理由を聞けなかったと言っていたよ。」
理由は、手紙の中に書いておいたつもりだった。

つまり、理解はされなかったってことだね。
そりゃ、和尚にとっては、なんの問題もない職場環境なんだもの。
それが問題といわれても、わかるわけないよね。

寺を出て間もないのに、それまでの価値観が、ものすごい勢いで崩壊していく。
そこにいないことが、自分には当然のことで、
後悔はみじんもない。

寺にいたことも、後悔してないけどね。