カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

楽しくて、やがてもの悲しきかな

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

駅の喧騒にパリらしさを感じてシミジミしていると、
自分が何やらモニュメントの上にいることに気づきました。
「げ!」
それはパリの地で亡くなった、ナチスの犠牲者のための慰霊碑でした。
7万人だったか? はっきり覚えていませんが・・。
乗っちゃってごめんなさい(・・;)


パリの宿は、今までと違い、少し駅から離れています。
というのは、ネットの写真で一目ボレしたから。
☆2つで3700円、朝食付バスタブ付です(お風呂の栓なかったけど・・)。
地下鉄の切符を買うのに少しとまどいましたが、なんとか宿へ。

設えは宿の案内より多少ボロかったですが、まあムードもあるし、
使用上問題はなさそうです。

フロントの人はフレンドリー。と、中2階のようなところに
おばあちゃんが入っていきます。中はコンピュータルーム。
ハイテク機器を操るスーパーおばあちゃんのようです。


とりあえず、メシのために外へ。
宿の前、1時半をまわるというのに、小さなレストランに行列が。
ランチは6ユーロくらいで安そうだし、おいしいに違いない。

が、なんかイマイチ勇気がなくて、入れませんでした。


大通りに出て、カフェがあったので入りました。
メニューは、オムレツやそば粉のクレープ、オニオングラタンスープなど
ちょい値段はお高めですが、伝統的なフランス料理が多かったので。

“ぼんじゅーる、むっしゅー!”
と言ってみたら、
“Hello!”
と言われてしまいました。

手が震えているようなおじいさんなのですが、メニュー聞くのも全部英語。
あららー、フランス人って、こんなに英語話したかしら?
それに、ツンケンしてるイメージがあったし、フランス語ができないとキビシイかと思ったので、今回がんばって練習したのですが・・(イヤ、挨拶程度しかできないけど)
宿の人も、英語でした。

写真はクロックムッシューと、クロックマダム(目玉焼きの乗っているほう)でございます。
おいしいと言うと、おじいさんはとても喜んでくれました。
帰りになんと握手までしてくれました。


さて、ハラも満ちたので、モンマルトルに出かけます。
今までいつも人の都合ばかりで動いていたので、
本当に自分の行きたい場所にいったことがありませんでした。
というわけで、パリでもっともパリらしい?場所に。
画家たちが絵を描き、売っているところが見たいのです。

パリの地下鉄は、降りる人が自分でドアを開けます。
駅の外に出ると、イスラムの集会でもあったのか?
アラブ人と黒人だらけ。メトロ内も、ほとんど黒人でした。

途中、1本の通りほとんどすべてが、黒人用のストレートカツラを売る店で占められていました。
黒人は、ストレートヘアに憧れるようで・・。


階段を登ると、そこはサクレ・クール寺院でした(写真)。
パリが一望できます(次の写真)。
で“お約束”、モンマルトルの、階段写真でございます。

以前住んでいた場所(もちろん日本)に、ソックリな場所があり、
みんな『日吉モンマルトル』と呼んでいました。
結構ありますよね、こういうとこ。


そのあと、『テルトル広場』という、画家たちが自分の絵を描きながら売っている場所に行ってみました。確かにテレビで見たときと同じでしたが、意外に狭いんですね。
もっと大勢いるのかと思ってた。

近辺には、クレープを売る店が。
そういえばイタリアでもスペイン階段近くでクレープを焼いていて、
焼いてはこそげ取って捨て、また焼き直しを繰り返す。
一体いつになったらうまくできるのか?というお店がありましたが、
さすがフランス、そのようなことはございません。

その後、地下鉄駅に向かって歩いていると、右手に『オ・ラパン・アジル』という
ユトリロピカソ等芸術家たちが集まったシャンソニエがありました。

この近くで郵便局を見つけたので、友人にハガキを出します。


こんどは、「パリの原宿」と言えるような、若者でにぎわう
『レ・アール地区』に向かいます。
駅直結の巨大なショッピングセンター(ヨド××カメラのような店もある)や、
スポーツクラブ、映画館などを通り過ぎて、地上に出ます。

教会の写真は、レ・アール駅前『サントゥスタッシュ教会』です。
何かで有名と言う事ではないですが、立派なのでつい撮っちゃいました。

その前の桜が満開。桜を見て喜ぶのは日本人だけと聞いていましたが、
多くの人が写真を撮っていました。きれいなものはやはり、きれいですからね。
ただ、それを見て酒を飲み騒ぐというのが、日本人だけなのかも。
毎年、上野公園の「花見」(花でなくて)を見に来る外国人観光客がいます。

ここからはセーヌ川ルーブル美術館も近いし、ルーブルを外からだけ見ようと思い
川に向かいました。
なんでも、ルーブルには『ジョジョの奇妙な冒険』の生原稿があると聞きましたが・・
ルーブルは18世紀以前のものしか置かないはずなので、本当かどうかわかりません。

遠くに、ポンピドゥ芸術文化センターの奇抜な建物が見えました。
辺りは公園が広がり、芝生では子どもがポケモンカードでバトルをしています。

が、その向こうで何やら不穏な空気。
おまわりさんともみ合いをしていましたが、6人ほどがお縄になっていました。

界隈では良さげなレストランが、夜に向けて準備をしています。


そしてセーヌ川に。向かいはポンヌフ。
訳すと「新橋」。東京のおやじ集う新橋とは、かなり雰囲気が違います。
新橋駅に「ポンヌッフ」って立ち食いソバ屋がありますが、
町田康さんが「女をこのポンヌッフに連れてきてケンカする」という文を書いていました。
そりゃ、怒るでしょうね。いや、私なら笑った後殴ります。
他にもふっるい「新橋第一ビル」内に、これまた古いカフェ「ポンヌフ」があるのですが、
そこは許します。ハンバーグサンドが美味そうなんですもん。

ポンヌフの恋人』って映画があるらしいが、私は見たことがありません。
遠く、おぼろげにエッフェル塔が。ちっせー!!
でも一応見るべきものは見た気がして、満足して川を後にします。
もう一枚の写真は、パリ発祥の地『シテ島』です。

私、ルーブルの方角を間違えていて、川の向こう側だと思っていたのですが、
並びでした。というわけでルーブルは見られませんでした。
もう夕闇が迫っていたので、ユダヤ人街のあるらしいマレ地区に向かいます。

が、デパートがあったので、ついお買い物してしまいました。
「etam」は、一時期日本にも出ていましたが、
かわいくて手頃な服や下着を売る、どちらかというと10代の女の子向けの店です。

他にも、日本でお馴染みの「ESPRIT」や「ベネトン」、「プランセスタムタム」など
目抜き通りには多くの店があり、金曜の夜の買い物を楽しむ客でにぎわっていました。


と、カルーセル(メリーゴーラウンド)が。なんだかパリでカルーセル、この組み合せが「らしい」です。
日本で見かけるカルーセルは、made in Franceが多いです。
この、華やかながら、なんとも言えないもの悲しさ。フランスのシャンソンにも通づる何かがある。
目の前の建物は、パリ市庁舎です。

ここから裏通りに入り、ユダヤ料理の店を探します。
今回の旅では、あまり「お目当て」を作りませんでした。
それを探すのに要する時間が、もったいないからです。
それより、たまたま見つけた店に入ったほうが、時間の効率がいいし、
思いがけない喜びもみつかります。

ただ今回はモスクとシナゴーグが見たくて、アラブ人やユダヤ人が集うマレ地区の散策には、何かお目当てがあった方が歩き易いかと思ったので。

まっすぐでない道を、ああでもないこうでもないと巡るうち、あたりは夜のとばりが。
諦めて宿へ向かおうとすると、ありました、ユダヤのパンとお惣菜の店
フィンケルシュタイン』が。
しかしもう7時をまわっていたので、閉店してしまっていました。

近辺にはいいレストランが多いようで、週末の夜を楽しむ客でどこもいっぱいでした。
日本食レストランもある通りに集中し、「吉兆」やその他寿司屋がひしめいています。
お客も、日本人ではない人が多いようでした。
寿司の折り詰めも誘いますが、ここで食ったら負けだぞと・・。

お持ち帰りの店は、ほとんど閉まっていて、
仕方なく手近なお菓子屋さんに入り、カスクートって言うんでしょうか、
フランスパンのサンドウィッチを買って帰ることに。中身はツナです。


そのあとは、少ない灯りを頼りに、通りの名前と地図を引き合わせながら
歩いてなんとか宿に戻りました。
でもこの迷い道が、どこより印象に残っている気がします。

ところどころの灯りには、おいしそうなご馳走やワイン、図書館や教会の厳めしい姿、
地下鉄の入り口(写真)、日本人の小さなパーティ(参加者の名札には、「鈴木」さんとか「川端」さんとか書かれていました。)、キティのグッズやフリルのブラウスなど、いろいろなものが浮かんでいました。

宿から最も近いお菓子屋さんで、飲み物を買いましたが、
すてきに飾られたケーキは、まだたくさんショーケースを彩っていました。
パリのお菓子屋さんは、比較的遅くまで開いているみたいです。


昼間はシーンとしていた立ち飲み屋に、人があふれています。
彼等はそのあと、明け方5時半まで騒ぎ続けました。

ときおり、通りを飛ばす救急車の音が。
ドイツでは少なかったですが、ローマとパリでは引っ切りなしに
救急車とクラクションの音がしていました。
そして酔って歌う人の声が、がたがたの窓を通して聞こえてきます。

そういえばローマでもパリでも週末でした。
彼らは夜通し、楽しげに騒ぎます。
そして早朝から昼ぐらいまでは、信じられないくらい静かです。
みんなお寝坊をきめこみ、騒ぎと暴飲暴食の疲れを癒しているのでしょう。

とても、他人とは思えません。自分の仲間を見る思いでした。
東京では、遅寝遅起きの私は異邦人、魔女です。
でも、ここにいるなら自分は普通です。


夜明け前に歓声で目が覚め、少し悲しくなりました。