カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

心が広い??

イメージ 1

寺が、なくなっていたらしい(私の勤めていた寺ね)。

当時知り合った会員さん(ここではNさんとする)は
その後もたまに寺を訪ねていたのだけれど

先日行ってみたら、空室になっていたそうな。

その人は以前、和尚と比較的親しかったのだが
なんの連絡もなかったようで

和尚の直電も、解約されていたらしい。

その人が一番最近に寺に行ったのが2月だったから
その間に夜逃げか・・と思ったが、
試しに寺の名前で検索してみると、近年ツイッターフェイスブックを始めたようで(笑)


相変わらず新し物好きだが
フェイスブックの更新は4月が最後になっている。

ツイッターは、私は入っていないのでわからない。

住所が別に出てきたが、今まで事務所を構えたことのない場所に見つかった。
もし移ったとすればそこ以外考えられないので
それをNさんに教えた。

それを頼りにNさんが訪ねたが
その番地にはビルが3軒あって特定できないそうな・・

情報が不充分ってことかな。
その電話番号には、だれも出て来ないらしいが
電話番号が使われていないものではない、ってことですよね。

しかし住所がはっきりしない宗教団体を
初めて訪ねていく人なんているかなぁ。

私はやめてしまった人間だから、もう済んでしまったことで
どうでもいいのであるが
その人が執心するのは、和尚から日本刀をもらったからである。

その日本刀は、元会員である人(Tさんとしよう)が寺に納めたものなのだが、
いろいろいわくがあり、私はまさかNさんのところにそれが行くとは思わなかったので
その話をNさんにしてしまっていた。

Nさんは、それを知りながら、和尚からもらい受けるのを断りきれなかったのだろう。

「今はお預かりしているけど、いつかお返しする」
と、Nさんはたびたび言っていた。やはり何か、気になるのかもしれない。
ただ実際に何かあったか私が聞いても、特にないという話なので、気になるだけなのか。

そして折りに触れ、和尚に返すことを切り出したが、その度に
「それはあなたが持つべきものだから」
とかなんとか返されて、うやむやにされてきたそうだ。

そうこうするうちに、Tさんが死んでしまった。
Nさんはあわてて和尚の所に行ったが、ただ
「返さなくていいから」
と言われただけだった。

その後和尚は、露骨にNさんが来るのを避けるようになった。
寺を訪ねてきても、戸を開けなかったりしたらしい。

実は以前からNさんは和尚から微妙に避けられていたのだが、
もちろん私は、そんなことが言えるわけはないから黙っている。

Nさんはそれについて気づいていなかったが、ある時ドア越しに秘書から
「帰ってください」
と言われたのには、さすがに怒りを露わにしていた。

そして和尚に愛想をつかし、寺に行くのは、やめたかに見えた。

しかししばらくするとまたNさんは、アポなしにフラリと寺に向かっては
うまく入りこんだり、入れなかったりを繰り返している。


一度、
「刀、宅配便で送りつけてはどうですか」
と言ってみたところ、
「それは縁を切るときにすることだから、まだできない」
と言っていた。

そこまで避けられたら、私だったらもう訪ねていかないと思うのだが
Nさんはそうではないらしい。

よほど和尚を慕っているのか。
それでも、プライドの変に高い私には、ちょっと考えられない話である。

飲食店でも、招かれざる客であることが雰囲気に伺えたら
そこをどんなに気に入っていたとしても、二度と敷居を跨ぐことはないと思う。


では、なぜ和尚はNさんに刀をあげたのか。
一つには、Nさんが剣道を長年やっている人で、真剣の扱いに長けているから。

刀は、実は生きていて、持ち主を自ら選ぶという話があるからである。

持つ資格のない人のところにあるとき、さまざまな異変が起こるが
あるべきところにあれば、刀はおとなしくなるというのである。

実際Nさんは高段者で、家に置いておいても
刀はウンともスンともないらしい。

知り合いに武家の子孫の人がいるが
やはり代々伝わった刀があって、
それは女性用の合口のようなものらしいが
近年蔵を建て替えるにあたり、出して磨いたところ
寝た子を起こしてしまったらしく、女主人が眠れなくなってしまったらしい。

他にも、伯父がコレクションで何振りも持っていたのだが
亡くなってその後の処理をした父が言うには、
「決して刀と掛け軸には手を出すな」

ま、出そうったって、先立つものがないわな。

実際本堂にあった時でも、その刀が来て以来、暗やみでなにやら
ブンブン音がするんですよ。

経を上げると、周りにいた物の多くが金縛りに合うし・・(昼ですよ)


そして理由の二つ目は、悪い言い方だが、やっかい払いである。

亡くなったTさんは、検死医の奥さん。
この人が、まあ思えば、虫が知らせたんだろうか。
亡くなる3年くらい前に、いろいろなものを寺に持ち込んできた。

そのすべてがヤバいものだった(笑)。

そして思えば、和尚は、そうしたものを扱う能力は、なかったんだよね。

私はそうしたものを、返納所に運びこめないか
たくさんのお寺に電話をさせられて、調べさせられた。

(ほとんどどこも、受け入れてくれなかったけどね)

お祓いってのがどういうものなのか、私にはよくわからないけど
よほどの覚悟がいるものだよね。
儲かるからといって、手を出せるものではないと思う。

そして祓ったものを、ちゃんと成仏させるには、
よほどの能力がいるようだ。

普通のお坊さんはたぶん、そういうことはできないから
請け負わないんだと思う。

しかし和尚はそれに手を出した・・
そして多少は能力もあったのかもしれないが
充分ではないので、その祓った物を横流しした(笑)。


そう考えると、すべてのつじつまが合う。

心霊写真をシュレッダーにかけて外のゴミ捨て場に持っていかされたのも
定期的に成田山や恐山に行くのも
ソープランドに行くのも
元妻たちがおかしくなってるのも
職員がどんどんやめるのも
事務所の掃除もしないし、職員にあまりさせたがらないのも
事務所を2年くらいでどんどん変えて行くのも
特定の人にものをやったり奢ったりしているのも
会員が定着せず、また定着するのを嫌うのも

それは彼自身が請け負ったものを
そうした人々に横流ししては関係を断っているからだ。

彼にとっては、周囲の人は、そうした道具でしかない。

つまりこの寺に来れば、運気が上がるように謳っているけれど
それは最初だけで、結局別な物(または同じ物)を背負わされていくってことだよね。

ちょっと古いけど
「プラマイゼロ、むしろマーイ♪」
ってことでしょうか。

まあ、人に運を上げてもらおうなんて、スケベ心出したから、付け入られたってことですな。
ちゃんと自分でやらないと。

10年かけて、高いお金払って、私はそれを学んだってことですね。


ところでNさん。
執念深いのか、愛情深いのか
それはよくわからない。

しかし、和尚に個人的な友達は、知る限り一人もいない。
そしてNさんには、私などには考えられないくらい
長期に渡って親しい人々が大勢周りにいる。


まあ、そういうつき合い方もあるってことかなあ。