カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

不完全な完全・その2

で、話は変わるが
私が現在通っているヨガは、コラボレーションヨガなので、
最初、お茶タイムから始まる。
 
 
季節や星座の話を、その専門の講師(ヨガの先生とは違う方)が少ししてから
ヨガに移るわけである。
 
参加者は女性ばかりだし、
集っているのもほとんどヒーラー系なので、
なかなか含蓄深い話が伺える。
 
年も近いし、ガールズトーク?というか
魔女トークという感じになってくる。
セラビー裏話というか。
 
 
そこで、セックスすると相手の遺伝子的な情報もすべて入ってくる、的な話になり、
 
さらにヨガの先生が、
「霊的能力があり過ぎる人はかなり短命」
的なことを言われた。
 
その先生に何人か、そうしたお知り合いがいらしたようで
整体的なセラピーをしつつ、霊的に感じた内容をクライアントさんに告げたりしていたそうだ。
 
たとえば
「あなたのお母様はお父様が初めての相手ではなくて、その前に懇意だった方がいた」
とか、触れるか見るかするだけでわかってしまうそうな。
 
 
そういうことを頼まれてもいないのに言ってしまうとしたらどうなの?
とか思ったが、それは置いといて
 
なんだかそういう話、他でも聞いたな・・と思い出すに懸命になっていたところ
 
先の、私が感銘を受けた、ヨガを一人でされている「体内旅行」さん、
その方もそう言われていた。
 
 
「霊感が強く、いろいろなことをズバズバ当てるけれど、そういう人は突然若くして死ぬし、あまりいい死に方をしない。だから自分のことは見えていないんだと思う」
的な。
 
確かに、自分がどう死ぬかわかったらイヤでしょうね。
 
だからそれはわからないようにできているんだとも思いますが。
 
 
でも、宜保愛子さんとか、そう短命でもなかったですよね。
亡くなられた理由もガンだったと思いますし。
 
 
霊能力があっても、そこそこ長生きしている方はいらっしゃる気もしますが。
美輪さんとか。
 
なぜヨガ系の方々が揃ってそうおっしゃるのかよくわからないが。

でも確かに、半分魂が抜けて鬼籍に入っているので

そうした霊的な部分が見える、ということもあるから

そうした人が若くして突然あちらに、ということはないことではないとも思う。

 

で、先生は

「やっぱり肉体と霊とをフル稼働にして100%で仕事していたから

そういう仕方だと死んじゃうんだと思う」

とも言われていました。

 

なんとなく私的には

霊感があったから、というよりは、その

「100%で仕事しちゃってた」

ってところが死につながったんじゃないかって思います。

 
 

なんでも、100%、完全にやってしまうと終わってしまうって言いますからね。

 
 

だいたい、飽きるっていうのはやり尽くすからじゃないですか。

 

厳密に言えば本当の完全ってどういうことが、表現できないですけれど

 

その人が「もういい」ってなったら終わりですよね。

 
 

だから昔の中国でも、皇帝が建てさせる御殿は

構造的に必ず不完全にしてあるそうですよね。柱を天地逆にするとか。

 
 

完全にするとその人の世が終わってしまうからってことらしいです。

 

絵も完全な出来のものを描くと才能が尽きてしまうらしく

だから不完全なものを何枚も描くようで

 
 

ま、完全なものなど描けないですけどね

 

つまり完全な、100%の仕事はありえないということですから

占いも100%当たるってことはないんだと思います。

 

そんな占いをしたら占い師が死んでしまいますからね。

仕事は100%でしたらいけないんです。

 

たとえ100%見えていたとしても

わかっている人はあえてそれを言わないようにしていると思います

 

TVの「東京都北区赤羽」でも、占い師の先生が

「そりゃ占い師は嘘つきますよ、本当のことを言ったら来なくなっちゃうでしょう。

だから嘘をつくんですよ」

と言っていましたが

 

サービス的な意味でも100%にしない意味でも

あえてそうするんでしょうね。

 

120%でやれ!とかいいますけどね

それはあくまでも気持ちで、ってことですよね。

 

自分にも他人にも望んだらいけない、そんなこと

 

でも私の父はマジでそれを望んでいたんだって気がします

 
 

だから勤めていた人はみなやめてしまったし

私もちょっとおかしいわけですよね(笑)

 

そもそも父が病んでいたんだと思います。

 

そこまで考えて、やっと

当たっていないことを言ったサイキックの人を許せるようになりました。

 

当たらなくても、それでよかったんだ

 

と、思えました。

 
 

そう考えると、結局ヨガ教室も

まあ、ハズレではなかったのかな

と、思えます。

 
 

不完全でありながら、完全

 
とは、こういうことをいうのかもしれません。